供の槍を取るが早いかそれを力にしてひらりと左の方へ降立つ。
「又五郎、覚悟致せ」
「さあ、参れッ」
万屋も鍵屋もバタバタと戸を閉める。小田町は大騒ぎになった。数馬は又右衛門に仕込まれて相当の腕にはなっている。しかし真剣の立合はこれが始めてである。ただ敵に対した時の覚悟だけはちゃんとしていたらしい。美少年でも流石《さすが》は寛永時代の武士、中々味のある勝負をしている。又五郎は琢磨兵林によると真刀流の達人で、弱年の頃「猫又」を退治したと書いてあるが、「猫又」などという代物が怪しいように、又五郎の腕も判らない。その証拠には源太夫を殺した時に周章《あわて》て、止《とど》めも刺さなけりゃ、鞘まで忘れて逃出してしまっている。不良少年の強がりで一寸《ちょっと》人を斬っては見たが、度胸も腕もそうあったものとは思えない。それ以後二三年の修業だからまずは数馬と互角の勝負、ただ槍をもっているだけが強味という所である。腕が同じだと槍の方に歩がある。槍の目録に対して刀の免許が丁度いい位で、一段の差があるそうである。
又五郎は中段に位をとる。数馬は柳生流の青眼、穂先と尖先《きっさき》が御互にピリピリ働いて、相手に変化を計られまいとする。二尺余りを距てて睨合っているが、槍の方から仕懸けて行くらしく時々気合と共に穂先が働く。それにつれて刀も動く。と、閃めいた穂先、流星の如く胸へ走る、数馬の備前《びぜん》祐定《すけさだ》二尺五寸五分、払いは払ったが、帷子の裏をかいて胸へしたたか傷けられた。
「此処だぞ」
と、数馬は思った。
「自分は死んでもいい、その代りにはきっと又五郎は討取ってみせる、さあ来い」
又右衛門の仕込んだのは此決心である。身を捨てて敵を討つという必死の決心である、短い気合を二三度かけるが早いか、数馬は又五郎の手元へ飛込もうとした。さっと繰引いて突出す槍、胸へ閃いてくるのをそのままに片手で槍の柄を握るが早いか、半身を延して片手討の大上段、真向から斬込んでしまった。槍は離れて得な武器だが、附込まれて役に立たぬ。放すが早いか飛退って腰へ手がかかる刹那、左手《ゆんで》に槍をすてて片手なぐりに二度目の祐定が打下す。こうなれば受ける隙も無い。咽喉笛へ噛《かじ》りつきたいように憎みを御互にもちながら、又五郎も斬らしておいて抜打に数馬の真額《まっこう》へ斬つける。この抜打は承知の事だから、避けは避けたが気が上ずっている身体《からだ》はままに動かない。耳から頬へかけて一筋かすられる。こうなればもう二人とも本当の刀は使えない。無茶苦茶に呼吸《いき》がつづけば斬合うだけである。相当の腕の者なら、槍を受けておいて斬込んだ時に、致命傷を与えてそれでケリがつくのだが、腕のちがいはそうも行かない。宮本武蔵が、
「二刀を使うのは、片手でも双手《もろて》と同様に働かせるための練習である」
と云っているが此処の事である。片手で斬込んだ時|平常《ふだん》の練習で双手で斬込んだと同じ効果《ききめ》があったら、数馬は矢張池田家中第一の美男子でおられたかも知れないが、不幸にしてこの心得が無かったため、顔へ二ヵ所の傷を受けてしまった。武蔵は従って大抵二刀で仕合をしていない。必ず一刀でそして一太刀で相手を倒している。流石《さすが》に剣道の第一人者だけの事がある。又右衛門とは又同日の談ではない。
この二人の勝負で、数馬は十三ヵ所、又五郎は五ヵ所の手傷を受けた。池田家に保存されているこの時の祐定の刀には六ヵ所も斬込みがあって如何に悪闘したかを物語っているが、伝える所によると「辰の刻より三刻が間」というから朝の九時から午後の三時まで斬合っていた事になる。正味六時間、これはどうも※[#「※」は「言+虚」、第4水準2−88−74、51−15]《うそ》らしい。又右衛門が甚左衛門を斬ったのは物の十秒とかかっていない、それからすぐ桜井半兵衛にかかって、容易《たやす》く打討《うちと》ったのだから長くて四五十分の事である。一時間とみたとしても残りの五時間を又右衛門が又「熱燗」で、二人の勝負を見物していたとは考えられない、この三刻は甚左衛門が斬られてから、役人の出張、負傷者の手当、野次馬が又右衛門について役所へ行く迄の時間と見るのが正当である。
鍵屋の角を曲った時、桜井半兵衛は又右衛門の懸声を聞いた。とたん、物影から武右衛門が斬つけた。たたみかけて斬込む刀、槍を取る隙が無いから、刀の鞘を払って受留めると共に馬からうしろへひらりと降立った。武右衛門と共に走出た孫右衛門は、槍持ちの三助に斬かかったから、三助驚いて槍を縦横に振廻す。半兵衛と三助御互に渡しも受取りもできない。素破《すわ》っ、と驚いたが流石に半兵衛の供をしてきた若党だけある。清左衛門が抜くと共に市蔵も木刀を抜いた。定まらぬ腰ではあるが、主人大事と
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