ことがあるでしょう? もしなければそれはあなた一人だけよ。私はよくは知りませんけど、何でも人形みたいなものが家《うち》の中をぜんまい仕掛で働くのだそうですの。そうそうこんな事が広告に書いてありますの『ボタンをおすべし、――決して酒を飲まない給仕人』『ハンドルをまわすべし――決していちゃ[#「いちゃ」に傍点]つかない十人の女中』だなんていうんですの。きっとあなたも広告を御らんになったにちがいありませんわ。とにかくその機械がどんなものであっても、以前あのラドベリーの腕白小僧だったスミスの弗《ドル》箱になっているんですの、あの侏儒が今じゃあ、まあとにかく、自分でやって行けるようになったのは、私としても嬉しくない事はない……とはいうものの、今にもあの男が現われて、サアわしはこの通りに少しは世の中に知られる男になったからと……また実際その通りなんですけど……言込んで来はしまいかと、私それが怖くて仕方がないんですわ」
「それから、も一人のほうは?」アンガスは落付払ってまたくりかえした。
 ローラ・ホープは突然立上った。「まああなた」と彼女はいった。「お巫女さんね。そうよあなたのおっしゃる通りよ。も一人のほうはただの一度だって何とも言っては来ないのです、ほんとにどこにどうしているんだか、死んだ人のように消息がわからないんですもの、しかし私が余計怖れているのはこの人の方ですわ、私の行くさきざきに付纒って、私の気を狂うようにさせるんですもの。ほんとに私はあの男は私を気狂《きちが》いにしてしまうように思いますわ。なぜって、私はあの男のいるはずのない所にあの男の気配を感じます、あの男がしゃべるはずのない所であの男の声をききますの」
「ウン、なるほど」と青年は愉快そうに言った、「もしその男が悪魔そのものなら、君が他人に話したので今頃はもう往生したろう。だがしかし君はいつその籔睨の気配や声を感じたり聞いたりしたのかね?」
「エエ私がこうしてあなたのお声をきいてるように、ウェルキンの笑い声をきいたんですの」と女は真顔になっていった。「それは店の外の四ツ角の所に私が立っていた時でしたが、四方の街が見透せてあたりには誰アれもいない時の事でした。私はあの男の笑い声等はもう忘れていたんですけど、そりああの男の笑声といったら、あの籔睨の眼付のように滑稽でしたのよ。私はもう一年近くも彼の事などは考えた事はありませんでしたの。ところが、それから二三秒もたたないうちに、恋敵のスミスからよこした最初の手紙を私は受取ったんですの」
「してみると君は化け物のようなものにしゃべらせたり、キュキュ云わせたりした事があるのかな?」アンガスが面白半分に訊ねた。
 ローラは突然|身慄《みぶる》いをした、が声だけは慄えずに言った、「そうですのよ、ちょうど私がスミスから成功の事を知らせて来た二度目の手紙を読了《よみおわ》ったちょうどその時に、『お前をあやつにやるものか』というウェルキンの声を聞いたんですの。それが、まるでウェルキンがこの空にでもいるようにハッキリしてましたから、ほんとに怖くって、――私はもう気が狂ってるにちがいないと思うくらいでしたわ」
「もしあなたがそんなに気がつくくらいなら、何より気が狂っていない証拠だ。だが、その幽霊紳士は僕には確かに変梃《へんてこ》に思われるな。しかし二つの頭は一つにまさるわけだから――僕はあなたに力を借そう、どうだね、もしあなたが僕に、僕を片意地な実行家としてだ、あの婚礼菓子をもう一度、窓から持って来る事を許してくれるならだ……」
 という彼の言葉が終るか終らないうちに、外の街路に当って、鋼鉄をさくような鋭い音がきこえて、一台の小型の自動車が悪魔のような速力で疾走して来て、店の入口前にピタリとまった。とその瞬間、絹帽をかぶった一人の小男がもう店の売場の方に靴を踏ならしながら立っていた。
 それまでは、快活に、呑気に構えこんでいたアンガスも緊張を見せて、ガバとばかりに奥の室《へや》を飛出して、この新参者に面と向った。この大変に気のきいた、しかし侏儒のような、そして光った黒い髯を横柄に前の方へ突出し、悧巧そうな落付のない眼を輝かせて、華奢な、神経質的な指先をもったその男こそは、今問題になった、スミスなのだ。バナナの皮や燐寸《マッチ》箱で人形をこしらえるというアインドール・スミス、金属製の酒を飲まぬ給仕やいちゃつかない女中で巨万の富を得たというアインドール・スミスその人だ。二人の男はしばらくの間、互いに本能的に相手の気配に独占《ひとりうらない》の心を読み合いながら立ちつくしていた。
 しかし、スミスは、恋敵関係の終局原理には触れずに、手短に爆発するようにこういった。
「ローラさんは飾窓にあるあの品を見たでしょうか?」
「飾窓にある?」アンガスは眼をまるくして鸚鵡返しに云った。
「今は他の事等を説明している時ではない」小男の金持が手短かにいった、「どこかで何か詮議を要するような馬鹿気た事が起っていると見える」
 彼は、手に持つ磨きのかかったステッキで、今しがたアンガスが婚礼の準備だといって総仕舞にした例の飾窓を指し示した。アンガスはその外硝子に細長い紙片がはりつけてあるのを見て驚いた、ちょっと前に覗いた時には確かにそんなものはなかった。精力家のスミスについて街路の方へまわってみると、外硝子におよそ四尺ほどの長さに、印紙が叮嚀に貼付けてあった。そしてそれには蔓草のような文で「もしお前がスミスと結婚するなら、スミスを殺す」と書いてあった。
「ローラさん」とアンガスは偉大な赤い頭を店の中へ突込んでいった、「あなたは気が狂っていない」
「これはあのウェルキンの奴の筆跡です」スミスは荒々しくいった、「私はもう何年もあの男には逢わないが、いつも私の邪魔ばかりしている。最近の二週間にもあやつは五|度《たび》も私の部屋へ脅迫状を投げ込んだのだが、私はどんな奴が投げ込んだのだか、全く解らんので、もしウェルキン自身の仕業だとするとこのままに棄ておく事は出来んのです。門番に聞いてみると、迂散《うさん》な奴等は見なかったと主張するし、ここではまた店の中に客がおるのに飾窓に奇妙なものを張りつけて行くし――」
「全くそうだ」とアンガスはおとなしく言った、「店で客がお茶を飲んでいたのに。それはそうと僕は事に当ってテキパキと片づけるあなたの常識を賞賛しますな。僕等は後で何かと相談し合ってもよろしい。そしてそやつはまだそう遠くへは行くまいと思う、なぜなら僕が最後に、十分か一五分くらい前に、[#「、」は底本では「。」]飾窓の所に行ったときには、たしかに紙片《かみきれ》は貼ってなかったのだからね。しかしまた、僕等はその言った方向さえわからんのだから、後を追いかける事も出来ない。それで、どうでしょうスミスさん僕の忠告を入れて、この事件を誰れか官辺のものよりは民間の、強力な探偵家の手に委ねてはどうでしょう。実は僕はあなたのあの自動車で行けば一五分くらいで行ける所に私立探偵を開いている非常に聡明な人を知っているのですが。それはフランボーと云うのですが、若い時には、ちょっと嵐のような男ではあったが、今は厳格な人間になっているのです。実際彼の頭脳は金に価《あたい》しますよ、彼の住居《すまい》はハルムステッドのラックノー館《マンション》です」
「それは偶然ですな」と小男は濃い眉毛を弓形にしながらこういった。「実は私もその角を曲ったところのヒマイラヤ館《マンション》にいるのです、それであなたも一緒にお出で下さるでしょうなア。私は部屋へいってその奇妙な書状を取出して来ましょう。その間にあなたはその探偵を連れて来て下さい」
「それはいい考えです」とアンガスは叮嚀に言った。「さあでは一つ早いところをやりましょうかな」
 二人の男は可笑しな即座の慇懃さを以って女の形式的な別れを同じように受けた、そして二人は隼のような豆自動車に飛び乗った。スミスがハンドルをとって、大きな街角を曲った時、アンガスは、巨大な鉄製の首無《くびなし》人形で『決して意地悪をしない料理番』というあの昔噺の文字を書いた羊鍋《ソースパン》を手にした、『スミス式|雇入《やとい》いらず』という大きなポスターを見て嬉しがった。
「あれは私の部屋でも使用しているんです」と小男のスミスが笑いながら話した。「半分は広告のために、または半分は実際の便利のためにですな。正直のところ、懸引きのないところ、私の発明したあのぜんまい仕掛の人形は、ボタンの押し方さえ知っていれば、石炭でも、ブドウ酒でも、また時間表だろうが、生きた雇人等よりは何層倍も早く、あなたの手許へ運びますよ、しかし、私は、これはここだけの話ですが、あれにも一つ不便な点のあることは否定出来ませんなア」
「へエそりあほんとですか? あの人形には何か出来ない事でもあるんですか?」
「その通りです」とスミスは平気な顔で、「あやつ等は私の部屋へ誰があの脅迫状を持込んだか、語る事は出来ないのですよ」
 豆自動車は彼自身のように小型で、快速だった。実際のところ、これも首無人形のようにスミス自身の発明になったのだった。

        二

 自動車は高台の方へ螺旋形にのぼって行った。家並の上にはまた家並がつづき、そして彼等の目ざす塔のように特別に高い何層楼という建物は、今金色の日没をうけて埃及《エジプト》の建築物のように高く上空に輝いていた。彼等が街角を曲って半月形の街路へはいると、にわかに窓を開け放ったように世界が変って来た。なぜなら、この建物は倫敦《ロンドン》市の上空にちょうど緑なす甍の海の上に浮べるが如く、かかっているのだから。建物に面して、砂利の散らばった半月形の街路の向側に、庭園というよりは嶮しい生垣もしくは土手といいたい一むらの籔地がある。その下にややはなれて外濠か何かのように、細長い運河のような水道が走っている。自動車は行く行く栗売男のただ一つの屋台店の前を過ぎた。そして行手の街路の涯に、アンガスはノソノソと歩いている巡査の薄墨色の姿を見た。寂しい郊外の山の手に、人間の姿といったらこの二つの姿だけだった。何だがこの二つの姿が物語の中の登場人物ででもあるかのように感じられた。
 豆自動車は右側の建物へ弾丸のように飛びついて、弾丸のようにその持主を発射した。彼はすぐに金ピカの役服を着た丈の高い使丁と、シャツ一枚の背の低い門番とをつかまえて、誰かまたは何かが、彼の部屋へたずねて来ているものはないかと訊いた。誰も、訪ねては来ないという事がわかったのでスミスといささか面喰らったアンガスとは狼火《のろし》のように昇降機《エレベータ》へ飛乗って最上層へ到着した。
「ちょっとはいって下さい」とスミスは息もつかずに言った。「ウェルキンから来た手紙をお目にかけたいから。それからあなたは街角を曲って探偵さんを連れて来て下さるでしょうね」彼は壁にかくしてあるボタンを押した、扉《ドア》は自然に開いた。
 室は奥行が長くて便利な控部屋で特色といっては、仕立屋の人形のように両側に列をつくって並んでいる半人的機械人形があった。仕立屋の人形のように彼等は首無しであった。そしてまた、仕立屋の人形のように彼等は肩のあたりに恰好のいい隆肉と胸部に鳩胸のような凸起をもっていた。そうした特色をのぞくと、彼等は、停車場にある人間大の自動機械と同じで、どうも人間らしくは見えない。彼等は盆を運ぶための、腕のような二つの大きな爪状のものを持っている。そして見別けをつけるために青豌豆色や朱色や黒色に塗られてある。その他の点では、どう見たって自動機械だけにしか見えないので、誰も二度ふりかえって見る者はない。現在この場合には、少なくとも、誰もそうするものはなかった。なぜなら、この二列の人形の中間に、奇妙なものが横わっているので、世界中のどんな機械でもこれほど興味をひくものはあるまいとさえ思われたほどだから。赤インキで乱暴に書いてある白紙の片《きれ》で、疾風のようなこの発明家が先刻|扉《ドア》が開かれるとほとんど同時に、それは引剥がしたもの
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