かったという心算《つもり》じゃ。実際は一人の人間が建物の中にはいって、そして出て来たんだが、彼等はそれを心にとめなかったまでの事でな」
「見えざる人ですか?」とアンガスは彼の赤い眉をつりあげながら訊いた。
「心理的に見えざる人じゃ」ブラウンはいった。
それから一二分の間をおいて、ブラウンは行く道を考えてる人のように、相も変らぬ謙遜な声でまた語り出した。「もちろんあなたがたはさような人の事を考える事が出来るかもしれん。サアそこが犯人の狙いどころでな。しかしわしはアンガスさんのお話のうちに二三ちょっと暗示を得たところがある。第一に、そのウェルキンなる者がしばしば遠方まで歩き廻ったという事実がある。次に、飾窓に郵便切手をたくさんに貼付けたという事実がある。次にまた、これが第一じゃが、その若い婦人のいわれた事が二つある。もっともそれは真実ではなかった……まああなた気を悪くされては困るが」と、ブラウンはアンガスが急に頭を振立てたのを見たので、あわててこうつけ加えた、「御婦人は自分では事実だと信じておいでのようだが、どうもそれは事実ではない。ある人が街で手紙を受取るとする、その時街路に誰も居ないという事はない、その御婦人が受取ったばかりの手紙を読もうとした時に、街路に彼女たった一人という事はないはずだ。その婦人に傍近く誰か居ったに違いない。彼こそ心理的に見えざる人に違いない」
「なぜ彼女の近くに誰かが居なければなりませんか?」アンガスが訊ねた。
「なぜなれば、伝書鳩を除いて、何人かがその手紙を持参せねばならぬはずじゃ」
「というその意味はウェルキンが恋敵の手紙を恋人のところへ持参したというのですか?」とフランボーが訊ねた。
「さよう。ウェルキンが恋敵の手紙を恋人の所へ持って行ったのじゃ。よろしいか、彼はそうせねばならなかったのじゃ」
「ああ、もう僕は我慢出来ん」フランボーが反駁するような調子でいった、「一体何者だろう。どんな様子の男だろう、心理的に見えない人間なんて一体どんな風体の人間なんだろう?」
「彼は赤や青や金づくめのかなり華美ななりをしとる」坊さんは即座にこう答えた、「そしてそんな目立つ服装として、八つの眼の中をくぐって、ヒマイラヤ館へはいって行ったのじゃ。彼は冷血にスミスを殺した上、その死体を小脇にかかえて、また外に降りて来たんじゃ」
「師父」とアンガスは棒立になっ
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