ありませんでしたの。ところが、それから二三秒もたたないうちに、恋敵のスミスからよこした最初の手紙を私は受取ったんですの」
「してみると君は化け物のようなものにしゃべらせたり、キュキュ云わせたりした事があるのかな?」アンガスが面白半分に訊ねた。
 ローラは突然|身慄《みぶる》いをした、が声だけは慄えずに言った、「そうですのよ、ちょうど私がスミスから成功の事を知らせて来た二度目の手紙を読了《よみおわ》ったちょうどその時に、『お前をあやつにやるものか』というウェルキンの声を聞いたんですの。それが、まるでウェルキンがこの空にでもいるようにハッキリしてましたから、ほんとに怖くって、――私はもう気が狂ってるにちがいないと思うくらいでしたわ」
「もしあなたがそんなに気がつくくらいなら、何より気が狂っていない証拠だ。だが、その幽霊紳士は僕には確かに変梃《へんてこ》に思われるな。しかし二つの頭は一つにまさるわけだから――僕はあなたに力を借そう、どうだね、もしあなたが僕に、僕を片意地な実行家としてだ、あの婚礼菓子をもう一度、窓から持って来る事を許してくれるならだ……」
 という彼の言葉が終るか終らないうちに、外の街路に当って、鋼鉄をさくような鋭い音がきこえて、一台の小型の自動車が悪魔のような速力で疾走して来て、店の入口前にピタリとまった。とその瞬間、絹帽をかぶった一人の小男がもう店の売場の方に靴を踏ならしながら立っていた。
 それまでは、快活に、呑気に構えこんでいたアンガスも緊張を見せて、ガバとばかりに奥の室《へや》を飛出して、この新参者に面と向った。この大変に気のきいた、しかし侏儒のような、そして光った黒い髯を横柄に前の方へ突出し、悧巧そうな落付のない眼を輝かせて、華奢な、神経質的な指先をもったその男こそは、今問題になった、スミスなのだ。バナナの皮や燐寸《マッチ》箱で人形をこしらえるというアインドール・スミス、金属製の酒を飲まぬ給仕やいちゃつかない女中で巨万の富を得たというアインドール・スミスその人だ。二人の男はしばらくの間、互いに本能的に相手の気配に独占《ひとりうらない》の心を読み合いながら立ちつくしていた。
 しかし、スミスは、恋敵関係の終局原理には触れずに、手短に爆発するようにこういった。
「ローラさんは飾窓にあるあの品を見たでしょうか?」
「飾窓にある?」アンガスは眼をまるく
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