せしかを知らないであろう。余は何等かの形にて汝のまわりにたぶん居るであろう。しかし余は汝が見るのを忘れている処のものにおいてただおるのである』と
「それ等の強迫状から私はこの旅行でも彼は私にかげのようについておるらしく思われます。そして霊宝を盗もうとしまたはそれを持ってるために私に何か災いをしようとしてます。しかし私は一度もその人間を見た事がありませんから、彼は私が出会う何人かであるかもしれませんよ。理論的に話して、彼は卓子《テーブル》において私に世話をする給仕人の誰かであるかもしれません。彼は卓子《テーブル》に私と一緒にかける船客の中の何誰《どなた》かであるかもしれません」
「彼はわしかもしれんな」と機嫌のいいさげすみを持って、師父は言った。
「彼は他の何人かであるかもしれません」とスメールはまじめに答えた。「あなたは私が敵でないとたしかに感ずる唯一の方です」
師父ブラウンは再び当惑して彼を見た。それから微笑して言った、「さてさて、全く奇妙じゃ、わしではないかな。わしが考えねばならん事は彼がほんとにここに居るかどうかを見出す何等かの機会じゃな――彼が彼自身を不愉快にする前にな」
「それを見出す一つの機会があると、私は思います」と教授は陰欝に答えた。「吾々がサザンプトンに到着した時に私はすぐに海岸に沿うて車を走らせます。もしあなたが一緒に来て下さるなら大変に喜ばしい事ですな。もちろん、吾々の仲間は解散になるでしょう。もし彼等の誰かがサセックス海岸にあるあの小さい墓地に再び現われるなら、吾々は彼がほんとに何人であるかを知るでしょう」
教授の筋書きは師父ブラウンを加えて、まさに始められた。彼等は一方には海を控え他の一方にはハンプシェアとサセックスの丘々をのぞみ見る道に沿うて走った。何等追跡者の影も見えなかった。彼等がダルハムの村に近づいた時その事件に何等かの関係を持っていたただ一人の男が彼等の道を横ぎった。すなわちそれはちょうど今教会を訪問しそして新しく開掘した礼拝堂を過ぎて牧師に依って叮嚀にもてなされて来たばかりの新聞記者であった。しかし彼の観察は普通の新聞式のものであるように見えた。しかし教授は少し空想好きであった。それで丈《せい》の高いかぎ[#「かぎ」に傍点]っ鼻の眼のくぼんだ、憂欝気にたれ下った髪を生やした、その男の態度や様子に見えるある奇妙なそして気抜けのしてるという考えを取り去る事が出来なかった。彼は観光人として彼の経験に依って幾分元気をつけたように見えた。実際、彼等が質問を以て彼を止めた時に、彼は出来得る限り早くその視野からのがれようとするように見えた。
「それは到る所呪いがあります」と彼が言った。「呪いあるいは呪いでなくも、私はそこから脱れた事を喜びますよ」
「君は呪いを信じますか?」スメールは物好きげに訊ねた。
「私はいかなるものも信じません、僕は新聞記者ですから」とその憂欝な人は答えた。しかしあの土窖《つちぐら》にはゾットする何物かがありますね、そして僕は寒気を感じた事を否定はしませんよ」それから彼は大股でステーションの方へドンドン行ってしまった。その芝生の中には墓石が青い海に投げ上げられた石の筏のように角々が傾いていた。その道は山の背の所まで来ていて、そこからはるか、向うには偉大な灰色の海が鋼鉄のような青白い光りを持っている鉄の棒の様に走っていた。彼等の足下には硬い並んでいる草が柊の芝生の中に折れ曲って灰色や黄色に砂の中に絡っていた。柊から一歩か二歩の所で、青白い海に向って真黒く、動かない人間が立っていた。しかしそれの暗い灰色の着物から考えて「あの男は、わたりがらすか鳥のように見えますね」と彼等が墓地の方へ向って行った時に、スメールが言った。「悪い前兆の鳥について人々は何んと言いますかね?」
彼等はそろそろと墓地に這入った。アメリカの古物好きの眼は隈なく照っている日の光をさえぎって夜のように見える水松《いちい》の樹の大きな、そして底知れない暗い繁茂や屋根附墓地の荒れた屋根の上にためらっていた。その通路は芝生の盛りあがった中にはい上っていた。それはある塚の記念碑の像であるかもしれなかった。しかし師父ブラウンは直ちに肩の上品な猫背と重々しく上の方へつき出た短い髯に何事かをみとめた。
「や、や!」教授は叫んだ。「もしあなたがあれを人間だとおっしゃるなら、あの男はタアラントです。私がボートの上でお話した時に、私の疑問に対して案外早く回答を得られるであろうと、あなたはお考えになりませんでしたか?」
「あんたはそれに対して色々な回答を得らるるかもしれんとわしは考えましたのじゃ」と師父ブラウンは答えた。
「なぜですか、どういうわけですか?」と教授は、彼の肩越に彼を見ながら、訊ねた。
「わしはな、水松の樹のかげに人の声
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