人々は、喧騒《けんそう》の渦巻いている中を、堤から降りた。支配方らしいのが
「舟か」
「八十人」
「大伝馬二艘」
 人々は、後から来た新撰組が、優待されるのを羨《うらや》ましそうに、黙ってみていた。小舟から伝馬へ乗りうつると
「未だ入れる。おい、そこの」
 と、支配方が、手招きした。旗本らしいのが、五六人、蒼い顔をして、御叩頭《おじぎ》しながら走ってきた。
「御免下さい」
「狭くて退屈ですが」
 土方に御叩頭をした。
「船頭っ、早く出せ」
 土方が怒鳴った。
 一人が鎧を脱いで
「こんな物っ」
 と、叫んで、川の中へ投げ込んだ。誰も、頭髪を乱して、蒼白な、土まみれの顔で、眼を血走らせていた。
「いかがに成りましょうか」
 旗本の一人が聞いた。
「判らん」
 一人は、川水で、顔を洗った。疵所《きず》を手当しかける者や
「食べ物」
 と云って
「水でもくらえ」
 と云われる者や――一人が又、鎧を脱ぎすてて、川の中へ投げ込んだ。二三人が、船頭に合せて、槍を、揖《さお》の代りにして、舟を押出していた。旗本は、一固まりになって、小さく、無言で俯《うつむ》いていた。
「御旗本か」
「はい」
「何か手柄したか」
「中々、鉄砲が――」
「鉄砲が、恐ろしいか」
「貴下方のように、胆が勝《すぐ》れていませんので、つい――」
 土方が
「鉄砲は、胆を選り好みしないよ」
「あはははは」
 と、大声で笑った。
 川堤には、引っきり無しに、敗兵が、走ったり、歩いたり、肩にすがったり、跛を引いたり――ある者は何の武器も持たず、ある者は、槍を杖《つえ》に――川の方を眺め乍ら、つづいて居た。
 微《かす》かに、大砲の音が、時々響いてきた。

      四

 天満橋《てんまばし》も、高麗橋《こうらいばし》も、思案橋《しあんばし》も、舟の着く所は、悉《ことごと》く、舟だった。船頭の叫びと、人々の周章《あわ》てた声と、手足と、荷物と、怒りと、喧嘩《けんか》とで充満していた。
 新撰組の人々は、槍で、手で、他の舟を押除けながら、石垣の方へ、近づけた。町人の女房が、子供が、男が、老人が、風呂敷包を背に、行李を肩に
「岩田屋の船頭はん、何処やあ」
 とか
「この子、しっかり、手もってんか、はぐれたら、知らんし」
 とか、叫び乍ら、自分の舟へ、人混の中を押合って降りていた。そして、舟から上る人と、下りる人とが、ぶつかり合った。
「上り舟や、客はないか」
 と、船頭が叫んだ。それを、橋の上から
「木津|迄《まで》なんぼや」
 と、手をあげていた。そういう喧騒《けんそう》を、橋に、肱《ひじ》をついて、呆然《ぼうぜん》と見下ろしている人もあった。
「あら、新撰組や、新撰組も、負けはったらしいな」
「近藤さんや、あの人が」
「あら、土方やがな。近藤さんは、墨染で、鉄砲で打たれた人で、御城で、養生してはんがな」
 町の中も、車と人とで一杯だった。夕方か、明日、薩長の兵が乱入してくるという噂が立っていた。
 新撰組の人々は、町人も武士も突除けて、小走りに、城へ急いだ。高麗橋口へかかると、馬上の人が、徒歩の人が、激しく出入していた。いつも、右側に、袴をつけて、番所の中に忝《かしこ》まっている番人が、一人もいなかった。
 石段を走り上って、中の丸へ入ると、鎧をつけた人が立っていた。一人が、その側を通りがしらに
「鎧は役に立たぬ」
 と、云った。その男は、何を云われたか判らぬらしく、新撰組を見送っていた。
 百畳敷の前へきた時、土方が
「ここで待てっ」
 と、叫んだ。そして、旗本を見ると
「未だついてきたのか」
「はい」
「貴公ら、早く江戸へ戻れ」
「はい」
 旗本はそう答え乍ら、衰弱的な眼で、土方を見上げた。
 戻る道――それは、何《ど》う成っているか判らなかった。戻っても、何うなるかを江戸にいて、鎧まで金に代えていた旗本であった。軍用金をいくらか貰って、ようよう息をついできた人であった。
(新撰組の人達は、一人でも、暮らして行ける人だから――)
 と、考えていた。
「貴隊へ御加えの程を――」
 土方は、返事をしないで入って行った。
「御勝手方は、何処だ。食事だ。食事だ」
 と、二三人が云った。
「手前が、心得ております。只今、話してきます」
 旗本の一人が走出すと、残りの人々も
「暫く、おまち下さい」
 と云って、走って行った。

      五

 近藤勇は、黒縮緬の羽織、着物で、着流しのまま坐っていた。
「敗けたか」
 口許に、微かな笑《えみ》を見せて、じっと、土方の顔をみた。
「見事――総敗軍」
「何うして」
「手も足も出ぬ。鉄砲だ」
「鉄砲?」
「うん」
「鉄砲に、手も足も出んとは?」
「貴公は、三匁と、五匁位より知らん。あいつは、五十間せいぜい六十間で当てるのはむずかしい
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