周章てて、砲口を上下させたりしていた。一人が、向鉢巻をして
「判った」
 と、叫んで
「除《の》けっ、微塵《みじん》になるぞっ」
 口火をつけた。兵は、耳の、があーンと鳴るのを感じた。空気が裂けたような音がした。その瞬間、すぐ前の木が、二つに折れて、白い骨を現したかと思うと、土煙が、土俵の前で、四五尺も立昇った。
 味方の弾丸は、前方の煙の中へ落ちて、土煙を上げた。
(今に、破裂する)
 と、兵も、近藤も、土方も、じっと凝視《みつ》めていた。だが、破裂しなかった。
「口火を切ってない」
 一人が、周章てて、弾丸の口火をつけて、押込んだ。銃声と、砲声とが、入り乱れてきた。兵の後方で、土煙が噴出した。山鳴がして、兵の頭へ、雨のように降ってきた。七八人の兵が、堡塁の所へ、しゃがんでしまった。
 四十挺の鉄砲方の外の人々は、槍と、刀とを構えて、堡塁から、顔だけ出していた。一人が堡塁へのしかかるように、身体を寄せて敵の前進を眺めていた。
(成る程、遠くまで届くものだな)
 近藤は、立木の背後で、散兵線を作って、整然として、少しずつ前進してくる敵に、軽蔑と、感心とを混合して、眺めていた。

      七

 近藤は、刀へ手をかけて、弾丸の隙をねらっているように――実際、近藤は、びゅーんと、絶間なく飛んでくる弾丸に、激怒と、堪えきれぬうるささとを感じていた。一寸《ちょっと》した隙さえあったなら、その音の中の隙をくぐって、斬崩す事ができると考えていた。
「くそっ」
 誰かが、こう叫ぶ声がすると、大きい身体と、白刃とが近藤の眼の隅に閃いた。
(やったな)
 と、一足踏出した途端、その男は、刀を頭上に振上げたまま、よろめきよろめき二三歩進んだ。そして、地の凹《へこ》みに足をとられて、立木へ倒れかかって、やっと、左手で、木に縋《すが》って支えた。
(負傷したな)
 と、近藤は思った。
(鈴田だ)
 その男が、立木へ手をかけて俯《うつむ》いた横顔をみて思った。その途端鈴田の凭れている木の枝が、べきんと、裂《さ》き折れて、大きい枝が、鈴田の頭、すれすれにぶら下った。
「鈴田っ」
 鈴田の脚元に、小さい土煙が立った。鈴田は、刀を杖に、よろめきつつ、二三歩引返すと、倒れてしまった。
 敵の兵は、未だ一町余の下にいた。そして、立木の蔭、田の畔《あぜ》、百姓家の壁に隠れて、白い煙を、上げているだけであった。
 近藤は、墨染で、肩を撃たれた事を思出した。小さい、あんな鼻糞のようなものが、一つ当ると、死ぬなど、考えられなかった。二十年、三十年と研究練磨してきた天然理心流の奥伝よりも鋭く人を倒す弾丸――小さい円い丸《たま》――それが、百姓兵の、芋侍にもたれて、三日、五日稽古すると、こうして、近藤が、この木の蔭にいても、何《ど》うする事も――手も足も出無いように――
(馬鹿らしい)
 と、思ったが、同時に、恐怖に似たものと、絶望とを感じた。土方は、堡塁の所から、首だけ出して、何か叫んでいた。
「あっ、敵が、敵が――」
 一人が叫んで、立上った。兵の首が、一斉に、その方を振向いた。山の側面に、ちらちら敵の白襷が見えて、ぽつぽつと、白煙が立ち、小さい音がした。近藤は前には立木があるが、後方に援護物が無いと思うと
「退却っ、あすこまで――」
 と、叫んで、一番に走り出した。ぴゅーんと、音がすると、一寸首をすくめた。

      八

「出たら、撃たれるったら」
 金千代が竜作の頭を押えた。
「然し、誰も撃たれてやしない」
「そりゃ、引込んでいるからだ」
「近づかないで、戦争するなんて、戦争じゃない。薩長の奴らは、命が惜しいもんだから、なるべく、近寄らずに威嚇《おど》かそうとしている、彼等――」
 と、云った時、昨夜、総がかりで作った関門に、煙が立って、炸裂した音が轟くと、門は傾いて、片方の柱が半分無くなっていた。人々は
「あっ」
 と、叫んで、半分起上りかけた。初めて、大砲の恐ろしい威力を見、自分らが十人で、百人を支えうると感じた所が、眼に見えない力で、へし折られたのを見ると、すぐ次の瞬間、自分らの命も、もっともろく、消えるだろうと思った。
「退却」
 という声が聞えた。
「退却、金千代っ」
 竜作が立上った。
「退却?」
 金千代が竜作の顔を見て、立上ろうとすると、近藤が走ってきた。
「退却ですか」
 金千代が突立った。近藤が、頷いて金千代の顔をみると額から血が噴出して、たらたらと、頬から、唇へかかった。金千代は
「ああ――当った――やられた」
 と、呟いて、眼を閉じた。竜作が
「やられた、弾丸《たま》に当った」
 近藤は、自分の撃たれた時には、判らなかったが、すぐ眼の前で、他人の撃たれるのを見ると、すぐ
(準備を仕直して、もう一戦だ。このままでは戦えぬ)
 と思った
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