、エンピール、スベンセル、こいつが恐い。三町位で、どんとくると、やられる」
「三町も遠くて、当るかい」
「当るように出来てる。伏見では、その為、新撰組が、七八百人やられたんだ」
二百八十人の隊は、二月二十七日の朝――霜の白い、新宿大木戸から、甲州街道を進んだ。二門の大砲が、馬の背につんであった。神奈川|菜葉《なっぱ》隊が後からきて、それを撃つのであった。それから、いろいろの種類の鉄砲が、四十挺。
土方は、もっと集める、と云ったが、金も、品物も無かったし。隊長の近藤が、苦い顔をして
「土方、そんな鉄砲など――」
止めてばかりいた。
撒兵隊《さんぺいたい》、伝習隊、会津兵、旗本、新撰組、それからの寄せ集りで、宗家の為よりも、自分の為であった。入隊しないと、何《ど》うして暮して行けるか見当のつかない人が、沢山に加わっていた。
そして、新撰組は、その人々で、会津兵は東北弁ばかり、旗本は流行言葉――という風に、一団ずつになって、睨合っていた。
大木戸辺まで、町の人々が、隊の両側に、前後に、どよめきつつついてきた。大木戸の黒い門をくぐると
「御苦労さま」
「頼みます」
と、町人達が、一斉に叫んだ。隊士は
「大丈夫」
と、手を挙げて答えた。
三
府中近くなると、もう、人々が迎えにきている。土方も、近藤も可成り前、故郷を離れた切りだったから、新撰組の近藤、土方、若年寄という大役の近藤として、郷土の人々に逢うのは、誇《ほこり》であった。
「御酒と、火とを沢山。用意しておきましただ」
人々は、だんだん増してきて、近藤の馬の左右に、わいわい云いつつついてきた。府中へ入ると、大きい家には、幕が張ってあって、人々が、土下座をして二人を迎えた。一軒の家に
「近藤勇様、土方歳三様御宿所」
と、書いた新らしい立札が立っていた。その前で、二人は馬から降りた。隊土達は、人々に案内されて、寺に、大家に、それぞれ宿泊した。
空っ風に、鼻を赤くして、のりの悪い白粉《おしろい》を厚くつけた女が、町中を走り歩いた。若衆は、錆槍《さびやり》だの、棒だのをもって、役所の表に立った。太鼓が万一の為に用意されて、近藤の家の軒に釣るされた。百姓は、大砲の荷をなでながら
「これが、大筒ちゅうて、どんと打つと、二町も、でけえ丸が飛出すんだ」
と、包んである藁筒《わらづつ》の隙から、砲先《つつさき》をのぞき込んでいた。
金千代と、竜作とは、接待に出た酌婦へ、江戸の流行唄を教え乍ら、酒をのんでいた。
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甲州街道に、
松の木植えて
何をまつまつ
便《た》より待つ
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「あんちゅう、いい声だんべえ。この御侍は、よう」
と、酌婦は、金千代に凭れかかった。金千代は、左手で、女の肩を抱いて
「今度は、上方の流行唄だ」
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宮さん宮さん
御馬の前で
ひらひらするのは何んじゃいな。
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「誰だ」
隣りの部屋から、怒鳴《どな》った。金千代が、黙ると
「怪《け》しからんものを唄う。朝敵とは、何んじゃ」
会津兵が、襖《ふすま》を開けて
「これっ」
金千代は、御叩頭して
「仕舞いまで唄を聞かんといかん」
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あれは、芋兵《いもへい》を
征伐せよとの
葵《あおい》の御紋じゃ無いかいな
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「たわけっ」
と、云って、会津兵が引込んだ。酌婦が、その後姿へ、歯を剥出した。
「御前今夜、どうじゃ」
酌婦は手を握り返して
「俺らも、甲府まで、くっついて行くべえかのう」
「よかんべえ」
竜作が
「雪だ」
と、いった。障子を開けると、ちらちらと降り出していた。
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今宵も、雪に、しっぽりと、
卵酒でもこしらえて
六つ下りに戸を閉めて
二人の交す、四つの袖、
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「ようよう、俺らあ、酔ったよ。金公《きんこう》、金的《きんてき》、もっとしっかり、抱いてくんしょ」
酌婦は、豚のような身体を、金千代に、すりつけた。
四
一人が
「早馬《はや》だ」
と、叫んだ。腹当へ、大きく「御用」と、朱書した馬に乗った侍が、雪の泥濘《でいねい》を蹴って走ってきた。
「留めろ」
近藤が叫んだ。二人の旗持が、旗を振って
「止まれ。止まれっ」
兵が二三人。大手を拡げて
「止まれえ」
「何故止める」
馬の手綱を引締めて、侍が、不安と、怒りに怒鳴った。
「甲陽鎮撫隊長、近藤勇だ。何処の早馬か」
「おおっ――これは、甲府御城代より、江戸表への早馬です」
「敵の様子を知らんか」
「それを知らせに行くんです」
「何処まできた」
「昨夜、下諏訪《しもすわ》へ入りました」
「下諏訪?――甲府まで幾里あるかな」
「十三
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