、漕手は六人で、ともの方には御一名の紳士が御乗りの様子で御座います」
「えっボート」と公爵が繰返した。「何一名の紳士」と云いながらスックと立上った。
しばらく氷のような沈黙が続いた。ただ蘆のしげみで水鳥のキッキッという妙な啼声が聞えるばかりだ。そして誰も無言であったが、早や戸外には横顔をこちらへ見せた一人の男が夕日に輝くこの部屋の三つの窓の外をまわって、最前公爵が通過したように通過するのが見られた。が、彼とこれとは鷹の嘴式の段々鼻の外線が偶然似ている外にはほとんど共通点がなかった。
公爵の白っぽい絹帽にひきかえこれはまた旧式なというより外国式かと思う、黒の絹帽だ。帽子の下には果断らしく引しまった顎を青々と剃った若々しい、そして非常にきつい顔が控えている。ちょっと青年時代のナポレオンを彷彿せしめるような顔立ちだ。
それにまた、全身の拵《こしら》えがいかにも風変りに旧式なところがあって、その点で親譲りの型を変えよう等という神経の持合せのない男としか見えない。羊羹《ようかん》色のフロックコート、軍人がするような赤短衣《あかちょっき》、ヴィクトリア王朝の初期の流行で、現代にはいかにも不調
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