だガンガン鳴っているのに気がつき、嚇《か》ッとして一歩前に乗出しながら、一つの剣をつかんだ、師父ブラウンもまた一歩前へ乗出して争いをとめようとした。が彼はたちまちにして、ここで自分が飛出したら事態はますます険悪になるばかりだろうと気がついた。サレーダインは仏蘭西《フランス》流の共済組合員でかつ極端な無神論者である。坊主の説法に耳を貸すような男ではない。更に相手はと見れば、これはまた坊主であろうとなかろうと、頭から人の意見に耳を貸しそうな男ではない。ナポレオン型の顔立ちと茶色の目とは、かの頑固一点張りの聖教徒よりも上手の頑固さをまざまざと物語っている。彼は地球の夜明け時代既に首斬役を開業していた人間のように見える――石器時代の人間――石の人間のような男だ。
 ブラウンは、今は家内の者に急を告げるより外に方法がなくなった。それで彼は家《うち》の中へ駈込んだけれども今日は下々の者が給仕頭の許しによって陸地の方へ遊びに出払《ではら》っていることを発見した、そしてただ陰気な家政婦のアンソニー夫人だけがおどおどしながら部屋々々を駈廻っているのを見た。しかし彼女が蒼ざめた顔をブラウンの方へ向けた瞬間、彼はこの「鏡の家」の謎の一端が見破られたように思った。闖入者アーントネリの陰鬱な茶色の眼とアンソニー夫人(英吉利名のアンソニーは伊太利名のアーントネリ)の同じく陰欝な茶色の眼! 突嗟の間にブラウンはもう話の半分が読めたと思った。
「あなたの息子さんが来てじゃ」と彼は手取り早く云った。「そして息子さんが死ななくば公爵さんが死のうと言う瀬戸際じゃ、ポウルさんはどこに居るかな?」
「あの人は裏の船着きにおります」女は力なげに云った。「あの人は‥‥あの人は‥‥今|救《すくい》を求めているのです!」
「アンソニー夫人」とブラウンは真顔になって、「この際、阿呆気《あほげ》な事を云っとられますまい。[#「。」は底本では欠落]わしの連《つれ》は今釣に行って舟がなし、あなたの息子さんの舟は御家来共が番をしている。あるのはあの橈舟ばかりじゃ。ポウルさんはあんなもんでどうしょうというのです?」
「聖母《サンタ》マリア! 私は存じません!」こう答えるなり彼女は気を喪《うしな》ってござ張りの床の上にバタリと卒倒した。
 ブラウンは彼女を抱き起して長椅子にねかせて、水瓶の水をそそぎかけて助けを呼んだ。彼は更に家
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