。夫人が、
「愛という言葉も判るわ。」
「そういう単語は、返事ができるんですね。」
「簡単な、恋愛用語だけは――」
「蹴飛ばしてやろうか。」
ロボットは、黙っていた。男は、ロボットが、返事もしないで、微笑しているのを見ると、自分が、蹴飛ばされそうな気がした。
「気味が悪いですねえ。魂があるようだ。」
夫人は、ベッドのカーテンを開けた。そして、腰をかけて、
「ここで、話しましょう。」
と、いって、椅子を、ベッドの横へ置いて、クッションの上へ、肱《ひじ》を突いた。
七
「ロボめ、じっと、見ていやあがる。」
男は、椅子から、立上った。そして、椅子を、カーテンの外へ出して、カーテンを引いた。
夫人は、大きいクッションの上へ、身体を凭れさせて、片脚を、ベッドの外に、垂れていた。男は、ベッドの縁に、腰をかけて、
「僕は――」
情熱的な眼で、夫人を見た。夫人は、頭を、クッションの中へ埋めて、細く、眼を開いて、
「何あに。」
それは、牝猫のような、媚と、柔かさを含んだ声であった。男が……
「ロボは、接吻ができますか。」
「一種だけなら、簡単な――」
「じゃ、それは、人間の方が、有利なんですね。」
「そうよ。」
男は、夫人に近づいた。そして、ベッドの上へ、深く、腰かけた。そして、夫人の方へ手を廻した。
「いけない。」
夫人が、頭を振った。それは、拒絶の外観をもった、誘惑的な、媚態の一種にすぎなかった。
ロボットは、ベッドからの信号と同時に、真直ぐに、それは、俊太郎の計算通りに、正確に、進んできた。そして、カーテンを、頭と、身体とで押分けて入って行った。
「ロボさん、来ちゃいけない。」
と、夫人が叫んだ。男が、
「馬鹿。」
と、叫んだ。ロボットは、両手を拡げた。
「どうするの。」
と、夫人が叫んだ時、ベッドぐるみ二人を抱くように、大きく手を拡げて、二人が、蒼白《まっさお》に――それは、奇怪な、ロボットの行為に、気味悪さを感じて、骨の髄から、恐怖に、身体を冷たくした瞬間――その、軟かい、だが、力強い手で、二人を、抱きしめてしまった。
「いけない、放して。」
夫人は、ロボットの手から、腕を抜こうとした。男は、肩の骨の上から抱えられて、右手で、ベッドの枠を握りながら、全身の力で、抜出そうともがいていた。夫人は、脚で、空を蹴ったり、ロボットを蹴ったり、顔を歪めて、恐怖の眼を剥出して、
「誰か、誰か――来て頂戴。」
と、絶叫した。ロボットは、徐々に、正確に、二人を、締めつけて行った。……………………………………………………………………、二人の骨が痛んだ。
「ああッ――痛い。」
夫人が、叫んだ。その刹那《せつな》、ロボットが、
「ベッドを汚《けが》したからだ。」
と、いった。それは、俊太郎に、よく似た声のように、二人には聞えた。そして、それと同時に、二人は、頭の底へ突刺すような、全身の骨の中までしみ透るような、激痛を感じた。二人は、悲鳴を上げた。
「ロボットの霊魂だ。」
と、ロボットが、答えた。二人の脚は、苦痛に、曲っていた。震えて、指は折れるように歪んでいた。顔は、真赤になって、眼球の中に血が滲んできていた。暫くすると、夫人の鼻穴から、血が流れ出して、眼が飛出すように、大きく剥いて、突出てきた。男も、微かに、呻《うめ》くだけになった。
人々が、馳《か》けつけた時、カーテンが微かに揺れているだけであった。召使は、
「奥さん。」
と、いったが、そのまま、遠慮して、暫く、二人で、眼を見合せていた。ぽとぽと液体の滴る音がした。そして、暫くすると、ゴトッと、機械の止まるような音がした。夫人の脚が、化粧し、彩色されたまま、色が変って、カーテンの下から垂れているのを見て、二人が、カーテンを開けた時、夫人は、眼からも、口からも、血を噴出していた。そして、ロボットは、二人の上にかぶさっていた。
[#地付き](「新青年」昭和六年三月号)
底本:「懐かしい未来――甦る明治・大正・昭和の未来小説」中央公論新社
2001(平成13)年6月10日初版発行
初出:「新青年」博文館
1931(昭和6)年3月号
入力:川山隆
校正:伊藤時也
2006年10月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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