た。
 耶馬渓の谷は、実にその浅いのを、またはその水の瀬の平凡なのを、また斜木の少いのを病とはしてゐないのであつた。何故と言ふに、渓の特色は、価値は寧ろその岩石にあるのである。山の突兀として聳えた形にあるのである。従つて浅い谷が、潺渓とした水が却つてそれに伴つてゐるのである。
 であるから、此処では、決して急瀬奔湍の奇を見ることは出来ない。雲烟※[#「分/土」、第4水準2−4−65]涌、忽ち晴れ忽ち曇るといふやうな深山の趣を見ることは出来ない。密林深く谷を蔽つて水声脚下にきこえるやうな世離れた感じを味ふことは出来ない。夏日の冷めたい清水に手も切るゝやうな快を得ることは出来ない。さうしたことを望んで、そしてそこに入つて行くものは必ず失望する。しかし渓流が処々に山村を点綴して、白堊の土蔵あり、田舎籬落あり、時にはトンネル、時には渓橋、時には飛瀑、時には奇岩といふ風に、行くままに、進むままにさながら文人画の絵巻でも繙くやうに、次第にあらはれて来るさまは、優に天下の名山水の一つとして数ふるに足りはしないか。頼山陽もさうした形が面白いと思つたのではないか。
 私は私の乗つた軌道車が、樋田あたりから夜になつて、渓を一々仔細に目にすることの出来ないのを憾んだが、しかしその車に燈火がなく、外はおぼろ月夜であつたために、却つて両岸の※[#「燐の火へんに代えて山へん」、第4水準2−8−66]※[#「山+旬」、第3水準1−47−74]を見得たことを喜ばずにゐられなかつた。夜に見た耶馬渓ではなくて、奇岩突兀とした耶馬渓であつた。それが私に耶馬渓に対して正しい判断を与へる有力な材料となつた。
 奇岩は一つ一つ夜の微明るい空を透して聳えて見えた。
 従つて最初行つた時に、羅漢寺の岩石も、この渓の一部であるとして見れば面白くないことはないと思つた。柿坂から新耶馬渓の奥を究めるに至つて、いよ/\さうした私の考へは肯定された。
 耶馬渓は渓全体として面白いのであつた。其処に青の洞門があり、彼処に羅漢寺があり、またその一方に柿坂のやうな、いかにも山の宿駅らしい部落があるといふ形が面白いのであつた。こゝから一つ一つ、五竜の渓を離し、点返りの瀑を離し、帯岩を離し、津民谷を離して見ては、決して単独にその勝を誇ることは出来ないのであつた。
 私は山移川の谷もかなりに深くわけて入つて見た。落合といふ村のあるあたりまで行つて見た。此処も矢張、耶馬渓の絵巻の一つのシインであるに相違なかつた。
 ことに、私は柿坂のかぶと屋の静かな一夜を忘れかねた。軌道が出来たので、その停車場の近くに新しい旅舎をつくつたが、それが丁度山陽の擲筆松といふあたりの渓潭に近いので、さゝやかな静かな渓声が終夜私の枕に近く聞えた。
 そしてその渓声は、耶馬渓の特徴を成してゐるので、決して日光あたりで聞くあの凄じい怒号でもなく、また塩原あたりで耳にするあの潺渓でもなく、また上高地あたりで聞くあの嗚咽でもなかつた。それは静かに囁くやうな渓声であつた。
 従つて、四季の中では、秋が一番美しいであらうと思ふ。紅葉の美は確かにこの谷の調和を保つであらうと思ふ。次には春が好いであらう。夏はこの谷の中はかなり暑い上に、山が浅いために虫が多く、それが灯の周囲にぱら/\と集つて来て、とても静かに坐つてゐることは出来なかつた。しかしこの谷では夏はかなりに旨い鮎が獲れた。津民谷で獲れるといふ鰻もあまりにしつこくなくて好かつた。
 私の三度目に入つて行つた時には、雨で、卯の花が白く咲いてゐた。「雨にあふもまたあしからじ卯の花の多き谷間の夕ぐれの宿」といふ歌を私は手帳に書きつけた。



底本:「現代日本紀行文学全集 南日本編」ほるぷ出版
   1976(昭和51)年8月1日初版発行
入力:林 幸雄
校正:鈴木厚司
2004年11月24日作成
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