も入れられてあった。暑い木陰のない路を歩いてきて、ここで汗になった詰襟《つめえり》の小倉《こくら》の夏服をぬいで、瓜を食《く》った時のうまかったことを清三は覚えている。その店の婆さんに娘が一人あって東京の赤坂に奉公に出ていることも知っている。
関東平野を環《わ》のようにめぐった山々のながめ――そのながめの美しいのも、忘れられぬ印象の一つであった。秋の末、木の葉がどこからともなく街道をころがって通るころから、春の霞《かすみ》の薄く被衣《かつぎ》のようにかかる二三月のころまでの山々の美しさは特別であった。雪に光る日光の連山、羊の毛のように白く靡《なび》く浅間ヶ嶽の煙《けむり》、赤城《あかぎ》は近く、榛名《はるな》は遠く、足利《あしかが》付近の連山の複雑した襞《ひだ》には夕日が絵のように美しく光線をみなぎらした。行田から熊谷に通う中学生の群れはこの間を笑ったり戯《たわむ》れたり走ったりして帰ってきた。
熊谷の町はやがてその瓦《かわら》屋根や煙突《えんとつ》や白壁造りの家などを広い野の末にあらわして来る。熊谷は行田とは比較にならぬほどにぎやかな町であった。家並みもそろっているし、富豪《かね
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