》でもあったかと思われるような土手と濠《ほり》とがあって、土手には笹《ささ》や草が一面に繁り、濠には汚ない錆《さ》びた水が樫《かし》や椎《しい》の大木《たいぼく》の影をおびて、さらに暗い寒い色をしていた。その濠に沿って曲《ま》がって一町ほど行った所が役場だと清三は教えられた。かれはここで車代を二十銭払って、車を捨てた。笹藪《ささやぶ》のかたわらに、茅葺《かやぶき》の家が一軒、古びた大和障子《やまとしょうじ》にお料理そば切《きり》うどん小川屋と書いてあるのがふと眼にとまった。家のまわりは畑《はた》で、麦の青い上には雲雀《ひばり》がいい声で低くさえずっていた。
 弥勒《みろく》には小川屋という料理屋があって、学校の教員が宴会をしたり飲み食いに行ったりするということをかねて聞いていた。当分はその料理屋で賄《まかな》いもしてくれるし、夜具も貸してくれるとも聞いた。そこにはお種《たね》というきれいな評判な娘もいるという。清三はあたりに人がいなかったのをさいわい、通りがかりの足をとどめて、低い垣から庭をのぞいてみた。庭には松が二三本、桜の葉になったのが一二本、障子の黒いのがことにきわだって眼につい
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