牌《かんばん》がかかっていて、旧式な手刷りが一台、例の大きなハネ[#「ハネ」に傍点]を巻《ま》き返《かえ》し繰り返し動いているのが見える。広告の引《ひ》き札や名刺が主《おも》で、時には郡役所警察署の簡単な報告などを頼まれて刷《す》ることもあるが、それはきわめてまれであった、棚に並べたケースの活字も少なかった。文選も植字も印刷も主《あるじ》がみな一人でやった。日曜日などにはその弟が汚れた筒袖《つつそで》を着て、手刷り台の前に立って、刷《す》れた紙を翻《ひるがえ》しているのをつねに見かけた。
 金持ちの息子《むすこ》と見て、その小遣いを見込んで、それでそそのかしたというわけでもあるまいが、この四月の月の初めに、機山がこの印刷所に遊びに来て、長い間その主人兄弟と話して行ったが、帰る時、「それじゃ毎月七八円ずつ損するつもりなら大丈夫だねえ、原稿料は出さなくったって書《か》き手はたくさんあるし、それに二三十部は売れるアね」と言った顔は、新しい計画に対する喜びに輝いていた。「行田文学」という小雑誌を起こすことについての相談がその連中の間に持ち上がったのはこれからである。
 機山がその相談の席で、

前へ 次へ
全349ページ中43ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 花袋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング