火鉢がまんなかに置かれてあった。
助役は肥《ふと》った背《せ》の低《ひく》い男で、縞《しま》の羽織を着ていた。視学からの手紙を見て、「そうですか。貴郎《あなた》が林さんですか。加藤《かとう》さんからこの間その話がありました。紹介状《しょうかいじょう》を一つ書いてあげましょう」こう言って、汚《きた》ない硯《すずり》箱をとり寄せて、何かしきりに考えながら、長く黙って、一通の手紙を書いて、上に三田《みた》ヶ|谷《や》村《むら》村長石野栄造様という宛名《あてな》を書いた。
「それじゃこれを弥勒《みろく》の役場に持っていらっしゃい」
二
弥勒まではそこからまだ十町ほどある。
三田ヶ谷村といっても、一ところに人家がかたまっているわけではなかった。そこに一軒、かしこに一軒、杉の森の陰に三四軒、野の畠《はた》の向こうに一軒というふうで、町から来てみると、なんだかこれでも村という共同の生活をしているのかと疑われた。けれど少し行くと、人家が両側に並び出して、汚ない理髪店、だるまでもいそうな料理店、子供の集まった駄菓子屋などが眼にとまった。ふと見ると平家《ひらや》造りの小学校がその右にあって、門に三田ヶ谷村弥勒高等|尋常《じんじょう》小学校と書いた古びた札がかかっている。授業中で、学童の誦読《しょうどく》の声に交《まじ》って、おりおり教師の甲走《かんばし》った高い声が聞こえる。埃《ほこり》に汚《よご》れた硝子《がらす》窓には日が当たって、ところどころ生徒の並んでいるさまや、黒板やテーブルや洋服姿などがかすかにすかして見える。出《で》はいりの時に生徒でいっぱいになる下駄箱のあたりも今はしんとして、広場には白斑《しろぶち》の犬がのそのそと餌をあさっていた。
オルガンの音がかすかに講堂とおぼしきあたりから聞こえて来る。
学校の門前《もんぜん》を車は通り抜けた。そこに傘屋《かさや》があった。家中《うちじゅう》を油紙やしぶ皿や糸や道具などで散らかして、そのまんなかに五十ぐらいの中爺《ちゅうおやじ》がせっせと傘を張っていた。家のまわりには油を布《し》いた傘のまだ乾《かわ》かないのが幾本となく干《ほ》しつらねてある。清三は車をとどめて、役場のあるところをこの中爺にたずねた。
役場はその街道に沿《そ》った一かたまりの人家のうちにはなかった。人家がつきると、昔の城址《しろあと
前へ
次へ
全175ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 花袋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング