たまった。「林さん、どうしたんだろう。このごろは払《はら》いがたまって困るがなア」と小川屋の主婦は娘に言った。菓子屋の婆《ばばあ》は「今月は少しゃ入れてもらわねえじゃ――よく言ってくんなれ」と学校の小使に頼んだ。小使は小使で「どうしたんだんべい。林さんもとは金持っていたほうだが、このごろじゃねっからお菜も買いやしねえ。いつも漬《つ》け物《もの》で茶をかけて飯をすましてしまうし、肉など何日にも煮て食ったためしがねえ」などとこのごろはあまり菜の残りのご馳走にあずからないで、ぶつぶつと不平そうに独《ひと》り言を言った。同僚の関さんや羽生の荻生さんなどが訪ねて来ても、以前のようにビールも出さなかった。
様子の変なのを一番先きに気づいたのは、やはり行田の母親であった。わざわざ三里の路をやって来ても、そわそわといつも落ち着いていないばかりではない。友だちが東京から帰って来ていても訪問しようでもなく、昔のように相談をしかけてもフムフムと聞いているだけで相手にもなってくれない。それに、なんのかのと言って、毎月のものをおいて行かない。あれほど好きであった雑誌をろくろく買わず、常得意の町の本屋にもカケをこしらえない。母親は息子《むすこ》のこのごろどうかしているのをそれとなく感じて時々心を読もうとするような眼色《めつき》をして、ジッと清三の顔を見つめることがある。
ある時こんなことを言った。
「この間ね、いい嫁があるッて、世話しようッて言う人があるんだがね……お前ももう身もきまったことだし、どうだ、もらう気はないかえ?」
清三は母の顔をじっと見て、
「だッて、自分が食べることさえたいていじゃないんだから」
「それはそうだろうけれど、お前ぐらいの月給で、女房子を養っている人はいくらもあるよ。いっしょになって、学校の近くに引っ越して、倹約して暮らすようにすれば、人並みにはやっていけないことはないよ」
「でもまだ早いから」
「でも、こうして離れていては、お前がどんなことをしているかわからないし」と笑ってみせて、
「それに、お前だッて不自由な思いをして、いつまで学校にいたッてしかたがないじゃないか」
「お母さん、そんなこと言うけれど、僕はまだこれで望みもあるんです。いま少し勉強して中学の教員の免状ぐらいは取りたいと思っているんだから……今から女房などを持ったッてしかたがありゃしない」
「そ
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