ガンに合わせて歌われたり、そうした女のいる狭い一室で歌われたりした。清三はその時女にその詩の意味を解いて聞かせて、ふたたび声を低くして誦《しょう》した。二人の間にそれがあるかすかなしかし力ある愛情を起こす動機となったことを清三は思い起こした。
 弥勒野《みろくの》にふたたび秋が来た。前の竹藪を通して淋しい日影がさした。教員室の硝子《がらす》窓を小使が終日かかって掃除すると、いっそう空気が新しくこまやかになったような気がした。刈《か》り稲《いね》を積んだ車が晴れた野の道に音を立てて通った。
 東京に行った友だちからは、それでも月に五六たび音信《おとずれ》があった。学窓から故山の秋を慕った歌なども来た。夕暮れには、赤い夕焼けの雲を望んで、弥勒の野に静かに幼《おさ》な児《ご》を伴侶《はんりょ》としているさびしき、友の心を思うと書いてあった。弥勒野から都を望む心はいっそう切《せつ》であった。学窓から見た夕焼けの雲と町に連なるあきらかな夜の灯《ともしび》がいっそう恋しいとかれは返事をしてやった。
 羽生の野や、行田への街道や、熊谷の町の新|蕎麦《そば》に昨年の秋を送ったかれは、今年は弥勒野から利根川の河岸の路に秋のしずかさを味わった。羽生の寺の本堂の裏から見た秩父《ちちぶ》連山や、浅間嶽の噴煙《ふんえん》や赤城《あかぎ》榛名《はるな》の翠色《すいしょく》にはまったく遠ざかって、利根川の土手の上から見える日光を盟主《めいしゅ》とした両毛《りょうもう》の連山に夕日の当たるさまを見て暮らした。
 ある日、荻生さんが来た。明日が土曜日であった。
「君、少し金を持っていないだろうか」
 荻生さんは三円ばかり持っていた。
「気の毒だけども、家のほうに少しいることがあって、翌日《あす》行くのにぜひ持って行かなけりゃならないんだが……月給はまだ当分おりまいし、困ってるんだが、どうだろう、少しつごうしてもらうわけにはいかないだろうか。月給がおりると、すぐ返すけれど」
 荻生さんはちょっと困ったが、
「いくらいるんです?」
「三円ばかり」
「僕はちょうどここに三円しか持っていないんですが、少しいることもあるんだが……」
「それじゃ二円でもいい」
 荻生さんはやむを得ず一円五十銭だけ貸した。
 翌朝、それと同じ調子で、清三は老訓導に一円五十銭貸してくれと言った。老訓導は「僕もこの通り」と、笑って銅
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