りに行く。かれやなんらの友情も知らぬもの、友を売りてわが利を得んとするものか。また例の「君の望むことにてわが力にてでき得《う》べき限りにおいて言へ」を言ふ。われ曰く「なし」と。この言《げん》はたして、かれの心よりの言葉か。
五日。
たま/\学友会の大会に招かれて行く。すなはち立ちて、「集会において時間の約を守るべきこと」につきて述《の》ぶ。かくのごとき会合において演壇に立ちしは初めてなれば心少しくためらひなきにあらざりしが、思ひしより冷静をもってをはりたり。余興として小燕林《こえんりん》の講談あり。
六日。
加藤と雪子と鈴木君の妹の君とかるた取る。
□夜、戸の外に西風寒く吹く。ああわれはこの力弱き腕を自己を、高きに進ますすら容易ならざるに、なほも一人の母と一人の父とのために走らざるべからざるか、さもあらばあれ、冷酷なる運命の道にすさむ嵐をしてそのままに荒しめよ。われに思ふ所あり、なんぞ妄《みだ》りに汝《なんじ》の渦中《かちゅう》に落ち入らんや。
松は男の立ち姿
意地にゃまけまい、ふけふけ嵐、
枝は折れよと根は折れぬ(正直正太夫《しょうじきしょうだゆう》)
□このごろの凩《こがらし》に、さては南の森陰に、弟の弱きむくろはいかにあるらん。心のみにて今日も訪はず。かくて明日《みょうにち》は東に行く身なり。
七日。
羽生の寺に帰る。
心にはかくと思ひ定めたれど、さすがに冬枯れの野は淋しきかな。
□○子よ、御身《おんみ》は今はたいかにおはすや。笑止やわれはなほ御身を恋《こ》へり。さはれ、ああさはれとてもかかる世ならばわれはただ一人恋うて一人泣くべきに、何とて御身を煩《わずら》はすべきぞ。
主の僧ととろろ食うて親しく語る。夜、寒し。
九日。
今朝《けさ》、この冬、この年の初雪を見る。
夜、荻生君来たり、わがために炭と菓子とをもたらす。冷やかなる人の世に友の心の温かさよ。願はくばわれをして友に誠ならしめよ。(夜十時半記)
□十日より二十日まで
この間十日余り一日、思ひは乱れて寺へも帰らず。かくて老《お》いんの願ひにはあらねど、さすが人並《ひとなみ》賢《かしこ》く悟りたるものを、さらでも尚とやせんかくやすらんのまどひ、はては神にすがらん力もなくて、人とも多くは言はじな、語らじなと思へば、いとものうくて、日ごろ親しき友に文《ふみ》書《か》かんも厭《い》や、行田へ行かんも厭《いと
前へ
次へ
全175ページ中92ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 花袋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング