た。西風が毎日のように関東平野の小さな町に吹きあれた。乾物屋《かんぶつや》の店には数の子が山のように積まれ、肴屋《さかなや》には鮭が板台《はんだい》の上にいくつとなく並べられた。旧暦《きゅうれき》で正月をするのがこの近在の習慣なので、町はいつもに変わらずしんとして、赤い腰巻をした田舎娘も見えなかった。郡役所と警察署と小学校とそれにおもだった富豪《かねもち》などの注連飾《しめかざ》りがただ目に立った。
六畳には炬燵《こたつ》がしてあった。清三は多くそこに日を暮らした。雑誌を読んだり、小説を読んだり、時には心理学をひもといてみることなどもあった。そばでは母親が賃仕事《ちんしごと》のあい間を見て清三の綿衣《わたいれ》を縫っていた。午後にはどうかすると町へ行って餅菓子を買って来て茶をいれてくれることなどもある。一夜《あるよ》凩《こがらし》が吹き荒れて、雨に交って霙《みぞれ》が降った。父と母と清三とは炬燵《こたつ》を取りまいて戸外《おもて》に荒るるすさまじい冬の音を聞いていたが、こうした時に起こりかけた一家の財政の話が愚痴《ぐち》っぽい母親の口から出て、借金の多いことがいく度となくくり返された。
「どうも困るなア」
清三は長大息《ためいき》を吐《つ》いた。
「いま少し商売がうまく行くといいんだが、どうも不景気でなア。何をやったッてうまいことはありやしない」
父親はこう言った。
「ほんとうにお前には気の毒だけれど毎月いま少し手伝ってもらわなくっては――」母親は息子《むすこ》の顔を見た。
「それは私は倹約をしているんですよ、これで……」と清三は言って、「煙草もろくろく吸わないぐらいにしているんですけれど……」
「お前にはほんとうに気の毒だけれど……」
「父《おとっ》さんにもいま少しかせいでもらわなくっちゃ――」
清三は父に向かって言った。
父は黙っていた。
財政の内容を持ち出して、母親がくどくどとなお語《かた》った。清三は母親に同情せざるを得なかった。かれは熱心に借金の不得策《ふとくさく》なのを説いて、貧しければ貧しいように生活しなければならぬことを言った。最後にかれはしまっておいた金を三円出して渡した。
友だちを訪問しても、もう以前のようにおもしろくなかった。郁治はたえずやって来るが、こっちからはめったに出かけて行かない。会うとかならず美穂子の話が出る。それを聞く
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