んが例の禿筆《ちびふで》をとったのがあちこちに立っている。土饅頭の上に茶碗が水を満たして置いてあって、線香のともったあとの白い灰がありありと残って見えた。花立てにはみそ萩や女郎花《おみなえし》などが供えられてある。古い墓も無縁の墓もかなり多かった。一隅《かたすみ》には行き倒れや乞食の死んだのを埋葬したところもあった。清三は時には好奇《ものずき》に碑の文などを読んでみることがある。仙台で生まれて、維新の時には国事に奔走《ほんそう》して、明治になってからここに来て、病院を建てて、土地の者に慈父のように思われたという人の石碑《せきひ》もあった。製糸工場の最初の経営者の墓は、花崗石《みかげいし》の立派なもので、寄付金をした有志の姓名は、金文字で、高い墓石に刻《ほ》りつけられてあった。それから日清の役《えき》にこの近在の村から出征して、旅順《りょじゅん》で戦死した一等卒の墓もあった。
 この墓地とはまったく離れて、裏の林の奥に、丸い墓石が数多く並んでいる。これは歴代の寺の住職の墓である。杉の古樹《こじゅ》の陰に笹《ささ》やら楢《なら》やらが茂って、土はつねにじめじめとしていた。晴れた日には、夕方の光線が斜《なな》めに林にさし透《とお》って、向こうに広い野の空がそれとのぞかれた。雨の日には、梢《こずえ》から雨滴《あまだ》れがボタボタ落ちて、苔蘚《こけ》の生えた坊主の頭顱《あたま》のような墓石《はか》は泣くように見られた。ここの和尚さんもやがてはこの中にはいるのだなどと清三は考えた。肥った背の高いかみさんと田舎《いなか》の寺に埋めておくのは惜しいような学問のある和尚さんとが、こうした淋しい平凡な生活を送っているのも、考えると不思議なような気がする。ふと、二三日前のことを思い出して、かれは微笑した。かれは日記に軽い調子で、
「夕方知らずして、主《しゅ》の坊が Wife とともに湯の小さきに親しみて(?)入れるを見て、突然のことに気の毒にもまた面喰《めんくら》はされつ」と書いたのを思い出した。湯殿は庫裡《くり》の入り口からはいられるようになっていた。和尚さんは二月ばかり前に、葬儀に用いる棒や板などのたくさん本堂にあったのを利用して大工を雇って来て、そこに格好の湯殿を作って、丸い風呂を据えて湯を立てた。煙《けむり》が勝手から庫裡までなびいた。その日は火をもらおうと思って、茶の間へ行って
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