ないので、不思議に思って、清三が本堂の障子をあけてみると、白い羅紗《らしゃ》の背広にイタリアンストロウの夏帽子をかぶった肥《ふと》った男と白がかった夏|外套《がいとう》をはおった背の高い男とが庫裡の入り口に車をつけて、今しもおりようとするところであった。やがて小僧がとり次ぐと、和尚さんの姿がそこに出て来た。久濶《きゅうかつ》の友に訪われた喜びが、声やら言葉やら態度やらにあらわれて見えた。
やがてその客は東京から来た知名の文学者で、一人は原杏花《はらきょうか》、一人は相原健二《あいはらけんじ》という有名な「太陽」の記者だということがわかった。いずれも主僧が東京にいたころの友だちである。
清三の室《へや》は中庭の庭樹《ていじゅ》を隔てて、庫裡の座敷に対していたので、客と主僧との談話《はな》しているさまがあきらかに見えた。緑の葉の間に白い羅紗《らしゃ》の夏服がちらちらしたり、おりおり声高《こわだか》く快活に笑う声がしたりする。その洋服や笑い声は若い青年にとってこの上もない羨望の種であった。
「原っていう人はあんな肥った人かねえ。あれであんなやさしいことを書くとは思わなかった」
郁治はこう言って笑った。
勝手へ行ってみると、かみさんと小僧とはご馳走の支度《したく》に忙しそうにしていた。和尚さんも時々出て来ていろいろ指揮をする。米ずしの若い衆は岡持《おかもち》に鯉のあらいを持って来る。通りの酒屋は貧乏徳利を下げて来る。小僧は竈《かまど》の下と据風呂《すえぶろ》の釜とに火を燃しつける。活気はめずらしくがらんとした台所に満ちわたった。
酒はやがて始まった。だんだん話し声が高くなってきた。和尚さんもいつもに似ぬ元気な声を出して愉快そうに笑った。
正午近くになるとだいぶ酔ったらしく、笑う声がたえず聞こえた。縁側から厠《かわや》へ行く客の顔は火のように赤かった。やがて和尚さんのまずい詩吟が出たかと思うと、今度は琵琶歌《びわうた》かとも思われるような一種の朗らかな吟声が聞こえた。
若い人たちはつれだって町に出かけた。懐《ふところ》に金はないが、月末勘定の米ずしに行けば、酒の一二本はいつも飲むことはできた。その場末の飲食店の奥の六畳には、衣服やら小児《こども》の襁褓《むつき》やらがいっぱいに散らかされてあったが、それをかみさんが急いで片づけてくれた。古箪笥《ふるだんす》や行李
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