に滿ち溢れて來るのを感じた。――何んなに遊蕩に身を持ち崩してゐたにしても、今でもその癖はやまずに、新らしい女が出來たりなどしてゐるのをはつきりと知つてはゐたにしても、それが深くこんがらかつて、何處までが憎だか、何處までが愛だか自分にもわからないやうな氣がした。否、さういふ女が他にあるがために、そのために一層不思議な愛情が漲つて行くのを感じた。口惜しさ、腹立しさ――それすらそこに愛となつて絡み合つてゐるやうな氣がした。
ある日は道綱が話した。『だつて、へんな美しい人が來て、この身を伴れて行くのだもの……。そしてね、母者、その人が貴い女の人なの……局の人たちがその人のことを大騷ぎしてゐるの……。この身もびつくりしちやつた……。ずんずん奧の方へつれて行つて了ふんだもの……。母者、あの宮知つてゐるのかえ……。いろいろなものを呉れたよ。羊羹だの栗だの高つきにのせて……。それから母者にもよく言うてくれと言はれてぢや。あんな美しいけだかい人この身は見たことはない……。』
『そちは知らぬかのう……あの堀河の家にゐた宮――?』
『知らぬ――』
『さうかのう。知らぢやつたかのう? その宮ぢやらう?』
『さうか――それぢや、母者よく知つてゐるんぢやな……。この身はそれと知らないからびつくりしちやつた。女子のゐるところぢやのう? 澤山々々女子がゐた。そしてこれがあの東三條殿の歌よみの人の子だなんて、皆なしてこの身をおもちやにするのだもの……しまひには睨めてやつた――』
『まア、この子が……』
『だつて、宮はにこにこして何もせられぬのだけども――その女房たちが人を何の彼のと言ふのだもの……』
窕子の眼には大内裏の藤壺のさまがそれとはつきりと映つて見えるのだつた。女の歌人としてこの身がさうした社會にも認められてゐることが――その子の道綱の口からもさういふことがきかれるといふことが、かの女に一種の愉快を感じさせた。
『宮はそれから何うなされた――』
『宮のゐらるゝところまで伴れて行かれた……。そこでいろんなことをきかれた。……父上のこともきかれた。……母者のこともきかれた。そして母者に孝をつくさなければいけないと言はれた……』
『まア……』
『それから歸る時、また今度來よと言はれた……。母者、あそこはずゐぶんひろいところね。幾曲りいく曲りと曲るんだもの……。わからなくなるくらゐね……?』
『…………』
窕子は末の宮の戀のことを頭に浮べずにはゐられなかつた。あの東國に走つた老尼の戀愛のことも不思議にもそれに引くらべて考へられた。
『それからずつともどつて來た?』
『え……』
道綱は可愛く點頭いて見せた。
『さういふところでは、しやんとしなけれはいけませぬよ。行儀をよくしなければ、でなくつては、殿上がつとまりはしないんだから……』
『大丈夫……』
『それから、一緒にゐる友だちと爭ひごとをしてはなりませぬよ』
『大丈夫……』
かう輕く言つてそして表の方へと出て行くのだつた。
その年は何方かと言へば窕子は幸福だつた。夏になってから宮から消息があつて――この間は道綱どのに逢へてうれしかつた。お身をまのあたり見たやうな氣がした。眉から額のところがよう似てゐる……。また今度逢はせていたゞきませう。禊の時には、棧敷が空いてゐるから來るなら來ては見ぬか。運好ければお目にかゝることが出來るかも知れない……などと書いてあつた。で、禊には母と道綱とを伴れて出かけて行つた。不幸にして宮には逢ふことは出來なかつたけれども、そのめづらしい儀式をまざまざと見ることが出來たのは嬉しかつた。
父母もいつも樂しさうに睦じさうにしてゐた。やはりいろいろな境を經て來たのでなければ人間は何うしても靜かなむつまじい心持になることは出來ないといつかも山の坊のあるじが言つたがそれが今はつきりとかの女にも點頭かれるやうな氣がした。二三年前から比べたら、かの女は何んなにいろいろな瞋恚や嫉妬や不平や悔恨を捨てゝ來たか知れなかつた。それと共に生きてゐるといふことのたうとさが次第に飮み込めて來た。生きてゐさへすればいつかは好くなつて來る。いつかはさうした苦しみを捨て去るやうな時が來る。さういふことが生きてゐるといふことである。殿の遊蕩にしてもやつぱりその通りだ。その時にははつと思つて吐胸をつくが――この身の戀などは一顧にも値ひせずに捨てられて了ひさうに悲觀されるが、じつとして見てゐると、そんなものではなくて、そこにも不滿足と不幸と不運とがいつでも渦を卷いてゐて、いつか春の雪のやうにあとなく消えて了つてゐるのを見た。あの時それを堪へ忍ばなければ自分は何うなつてゐたかわからない。自分で自分の戀を破壞するやうな形になつて行たに相違ない。あとで後悔したつて追ひつかないやうなことになつたに相違ない。これが古の人のいふ耐へ忍ぶといふことか。忍耐が人間には一番肝心だといふことか。しかし耐へ忍ぶといふ心持ともいくらかは違ふやうである。それよりももつと努力の要らない、そのまゝそつとして置く心持――まづ暫くそれをわきにやつて置くといふ心持、むしろさういふ心持に近いやうなのを窕子はこの頃染々と感ずるやうになつた。
母親は何うしてかこの頃丸で違つたやうな人になつた。もとは何方かと言へばいろいろなことを氣にしたり、殿のことについても時には窕子以上やきもきしたり、かをるに對してもわるくこだはるやうな心持を見せたりする人だつたが、父親が歸つて來てからは全く靜かな落附いた愛情に富んだ母親になつて了つた。嫁に對してわるい顏などを見せたことなどもなく、殿のことにしても、『何と言つたつて、お前、立派な人なのだからね……。堅いお方なのだからね。だからお前が始終からかはれてゐるやうなものなのだよ。お前がむきになつて怒つたりするので、一層さういふ氣になるのだよ。好い方なんだからねえ』などと言つて、もう心づかひすることはないといふやうな任せ切つた心持で話した。
かをるもやつぱり窕子の言ふ通りだといふのだつた。此頃では險しい言葉などをかけられたことは一度もないといふのだつた。
『やつぱりひとりでゐたので、さういふ風になつたのかしら?』
『さうかもしれない……』
こんなことを二人は話した。道綱などが行つても、『あこ來たか、よう來た、よう來た!』などといかにも嬉しさうであつた。羊羹などを高つきに載せて出した。
ところが二年目の春の祭の濟むころから、何となく胸がつかえるなどと母親は言ひ出した。その癖その祭見には、棧敷が取つてあつたので、窕子を始めかをるや呉葉などと一緒に出かけて行つたのであつた。そして風が吹いて塵埃の立つ日に御輿の赤牛にひかれながらねるやうにして行列の徐かにやつて來るのを見たのだつた。中宮の出し車の美しさがその時あたりの眼を惹いた。さまざまの色……さまざまの模樣……その中でたしか藤色なのが中宮だつた。忘れもしない、その日の夕方から、母親は何うも胸が變だと言ひ出したのだつた。
しかし窕子は別に深くそれを心配しなかつた。一時のことだと思つた。物でも取りすぎたのだと思つた。丁度そのころ殿が續けて來たので、二三日無沙汰して行って見ると、奧の對屋に几帳して寢てゐて、思ひもかけないほどやつれてゐた。醫者にもかけて見たが、何うも本當のことはわからないといふ。何か憑物でもしたのではないかと言つてそれを落すために修驗者などを呼んで見たが、何うもそれでも驗が見えない。『なアにそんなに案ずるには及ばない。いまにぢきに治る……。お前が今日來るまでには起きるつもりでゐたのだが……』などと病人は手輕に言つてゐるのであるが、何うもいつもの風邪とは違つてゐるらしいので、窕子は急に慌て出して、早速殿のかゝりつけの醫者を招んで來て見せたり、寺でごま[#「ごま」に傍点]を焚いて貰ふやうにわざわざ使者を北山に出したりした。それから梅雨の節が來て、往つたり來たりするのも路が泥濘で困つたりしたが、しかも心配してやつて來る度に、『もう好い。今日は大分好い。北山のごま[#「ごま」に傍点]がきいたと見えて、氣分がさつぱりした……』などと言つてゐるに拘はらず、次第にその體のやつれて行くのを目にした。そればかりではなかつた、さみだれが晴れて京の町が日影にかゞやく頃になると、急に胸が強くさし込むやうになつて、左の脇腹のところが非常に痛んだ。『かをる! 氣の毒だが、またこゝを押して呉れ!』かう呼んでそこを強く強く押して貰つた。
窕子は呉葉に言つた。
『何うも、いつもとは違ふのでね……。あの痛みが何うもわからない……。何かお中のうちに腫れたものでも出來てゐるのではないかと醫者は言うのなれど……』
『それだと困りますねえ』
呉葉も窕子の心を知つてゐるだけに、ひと事とは思へぬのだつた。
急に思ひ附いたやうに、
『腫物ならば私はちよつと行つて參じませう。大原野に、それによくきく地藏さまがございますから……。そこにさへお參りすれば、どんな難かしい腫物でも、三日が内に口があいてよくなると申しますから……』
『でも、本當に腫物だか何だかわからないのだけれど……』
『それでも、私、行つて參じませう。わけはありませぬから』
呉葉はさう言つて、桂川の土手に添つた長い路を遠く遠く歩いて行つた。大原野の春日の社のあるところからはもつと南で、昔、都が一度そこにあつたなどと言はれるところだつた。そこには竹むらの蔭に小さな地藏堂があつて、そこに大勢腫物のために參詣する人だちが來てゐた。
窕子は此頃はまた大きな壁見たいなものに打つかつたやうな氣がするのだつた。折角いくらか人間のことがわかつて來て、いくらか落附いた氣持になつてゐたのに、それさへ再び夏草のやうに亂れ勝になつた。かの女には母親なしの自分の生活を考へて見ることは出來ないやうな心持に滿たされた。苦しいことがあると言つては、腹立たしいことがあると言つては、わからないことがあると言つては、すぐ母親のもとにかけつけたものであるのに――母親はそれを自分のことのやうにして心配もすれば慰めもして呉れたものであるのに――母親があればこそ今まで死にもせずに生きて來ることが出來たと思はれてゐるのに――あのやさしいにこにこした顏があるために何も彼も慰められて來たのに――もしものことがあつたりしたら? 窕子はそこまで行くと深い憂欝に閉ぢられずにはゐられなかつた。かの女はじつと妻戸のところに立つて竹むらに夕日の影の消えて行くのをたまらなくさびしい心持で見詰めた。
時にはひとりでに涙が流れて來た。孤獨の涙が。今度は治ることがあつてもいつか一度はわかれて行かなければならない涙が。豫想したことのないひとつの事件がその眼の前に起りつゝあるといふことが。その暁にはその身は何うなるであらうと思はれるやうなことが。それにしてもかの女は一度だつてそのやうなことを想像したことがあるだらうか。母親がゐなくなるなどといふことを考へただらうか。あのやさし莞爾した顏が、この世になくなるなどといふことを思つて見たことすらあつたらうか。窕子は涙ばかりではなく――それ以上にじつと空間の一ところを見詰めるやうな心持になつた。
何うかして一度は治つて呉れるやうにと祈つた効もなく、次第に母親の病氣のわるくなつて行くのを窕子は何うすることも出來なかつた。此頃では夥しく脇腹が痛んで、その内部に出來てるる腫物が外部から觸つて見てもそれとわかるくらゐになつて行つてゐるのを見た。醫者の罨法も役に立たず、修驗者のやつてゐる祈祷も後には徒らに病人を焦立たせるのみとなつた。窕子は毎日のやうに出かけて行つたが、その間は十町ぐらゐあつて、それは半ばは小野宮の邸の築地に傍ひ半ばは草むらになつてゐるところについて曲つて行つた。かの女は常に深い憂愁に滿たされながら、時には歩き、また時には網代車に乘つて出かけて行つた。草むらには暑い日影に晝顏が咲いてゐたり、阜斯が人の足音につれて草の中に飛んで行つたりした。蟋蟀なども頻りに啼いた。小野宮の築地の壞れの中からは四の君らしい琴の音が頻りにきこえた。
何うかするといんち打
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