、かの女は顏をもそこに出さなかつた。兼家はそれをそつと取つて歸つて行つた。つゞいてそれに對するかへしの長い歌が來た。
 その長い歌には何が書いてあつたらう。やつぱり男子の浮いた心が體裁よくかくされてありはしなかつたか。(お前は何故それでは打解けないのぢや。この身はお前を忘れたことはない。お前のことばかりを思うてをる。それをお前は何のわけもなしに、此身を袖にばかりしてゐるではないか。――寢覺の月の槇の戸に光殘さず洩れて來る影だに見えずありしより疎き心ぞつきそめし――二人の仲がこのやうになつたのはお前にも責任があるではないか)かういふ風にその長歌は詠まれてあるのであつた。窕子はじつとそれを深く考へた。

         二○

 互に打解けても打解けられないやうな月日が長く長く續いた。さうかと言つて兼家は全くその姿をそこに見せぬといふのでもなかつた。またその身はやつて來なくとも、歌やら消息やらは常に使にもたせてよこした。
 いくら悶えたからと言つて何うともならないといふやうな心持が次第に窕子の身の周圍に來た。苦しい時には默つてゐるより他爲方がない。いくら思ひのまゝにしようとしたとてそれは
前へ 次へ
全213ページ中86ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 花袋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング