出來るものではない。また、何んなにつらいと思ふことでも、悲しいと思ふことでも、時には身も亡びるかと思はれるくらゐいらいらすることでも、じつと落附いてさへ居れば次第にそれが薄らいで行くものだといふことなどもそれとなく飮み込めるやうになつた。(これがこの人の世といふものだ……。誰にでもそれほどのことはあるものだ。單に自分にばかりそれがあるのではない。現に、その證據には、あの后の宮にもその苦しみがあるではないか。またその妹の登子の君にも、それにもました戀の苦しみがあるではないか)かの女は次第にその身の悶えをあたりの人達に比べるやうになつた。
『本當だね、何處に行つたつて思ふまゝにならないのだねえ?』
ある日窕子はこんな風に呉葉に話しかけた。
『…………』
呉葉は點頭いただけで、何も言はずに、そのまゝ窕子の言はうとするところを待つた。
『御門でさへ……そのやうなことをなさるのですもの』
言葉を長く、いかにも歎かはしいやうにして窕子は言つた。
『何の宮のことでござりますか?』
『そら、そちも知つてゐるではないか、登子……きさいの宮?……』
『あ、お妹さま――』
『あの方のことなど考へると、この身などはまだ好い方かも知れぬ……』
『あの登子さまが何うかなさりましたか?』
『そちは知らぬか?』
『式部卿の宮さまのことではござりませぬか?』
『それはさうだけれども……それは誰も知つてるけれど……』
『何か他に?』
『御門が何うしてもお許しにならぬので……』
『御門が……』
登子の姿を垣間見てから、何うしてもそれを大内裏に召すと言つて言ふことをきかなかつた。しかしそれにはその姉のきさいの宮の思わくもあることだし、またその一方では式部卿のこともあるので、それだけはたつて兼家の父がおことはり申上げたのであつたが、しかも御門は何うしてもその御心をひるがへさうとはせぬといふのであつた。
『まア……』
呉葉も流石に驚かずにはゐられないといふやうに聲を立てた。
『殿がおつしやいましたのですか』
『これはお前、誰にも言つてはならぬことだよ……』
窕子は聲をひそめた。
『お心安う……。それは決して他言などは致しませぬが、それにしても、あまりのことではございませぬか。つい、此間も小一條の女御のことであのやうに后の宮がお腹立におなり遊ばしたのに……それにもお懲りあそばさずに――』
『姉はまだ
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