てゐる窕子を幾重にもなだめた。
兼家の衣は爲方なしにもどしてやることにした。
一八
さびしい秋が續いた。野分がすさまじく始終吹いたり、虫の音が悲しく枕近くきこえたりした。窕子は深くたれこめてのみ暮した。
いくらこひしいと言つても、その身の矜持までも捨てゝかれの來るのを待つわけには行かなかつた。此身を思うて呉れればこそそこに縋つて行く心持も起つて來るのである。思ひもして呉れないのに……坊の小路の女達や河原の人などと同じづらに持てあつかはれて、たゞ玩弄品か何かのやうに見られてゐるのに、いくら此方でばかり深く思つて見たところで効がなかつた。窕子はそこに深い深い失望を感じた。そしてそれは今まで感じて來た輕い失望のやうなものではなかつた。かの女はその悲しみと失望との中に、さびしい秋の自然が、山にたなびきわたつて眺められ雲のたゝずまひが、野分に吹きなびけられてゐる尾花が、夜もすがらきこえて來る虫の音が、またはさびしく降しきる軒の雨がすべて細かに織り込まれて來るやうな氣がした。
二三年前までならば、たとへ何んな苦しみがあつたにしても、また何んな悲しみがあつたにしても、いろいろなことでそれをまぎらせることも出來たであらう。此方からもさう深く思ひ込まずに、容易に男の胸にこの身を投げかけて行くことも出來たであらう。また呉葉の慰藉も、母の意見もそれをまぎれさせるに十分力があつたであらう。しかし今度の失望は、さうした生やさしい心の傷痍ではなかつた。窕子は既にあらゆる希望の憑むに足らないものであることを知つた。自分の眼の前に頼みにもし、力にもし、なぐさめにもして來たさまざまの幻影は、それは實際幻影で、到底手にすることの出來ないものであるといふことをかの女はつくづく感じた。青春の失はれて行く怨み、それも悲しかつたには相違ないが、しかしそこにはまだ慰めもあれば、縋るべきものもあつた。今度のやうに魂の底まで搖ぶられるやうなものではなかつた。
呉葉が何か言ひかけても、窕子はたゞ低頭いてだまつてゐるやうなことが多かつた。
『本當に、もう少し氣を引立てゝ下さらなくつては……』
呉葉はある日、兼家がやつて來て、一※[#「日+向」、第3水準1−85−25]ほどゐてそゝくさと歸つて行つたあとで言つた。
『そのやうに言はずにおいてお呉れ……。お前の心持はよくわかつてゐるから』
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