もて》へと押し出された。
 押出されて、更に驚いた。
 夢では無いかと思つた。
 何うです、諸君。全村が丸で火※[#感嘆符三つ、365−下−12] 鎮守の森の蔭に一つ。すぐ前の低いところの一隅《かたすみ》に一つ。後に一つ。右に一つ。殆ど五六ヶ所から、凄《すさま》じい火の手が上つて、それが灰色の雨雲に映つて、寝惚《ねぼ》けた眼で見ると、天も地も悉《こと/″\》く火に包まれて了つたやうに思はれる。雨は歇《や》んだ代りに、風が少し出て、その黒烟《こくえん》とその火とが恐ろしい勢で、次第に其領分をひろめて行く。寺の鐘、半鐘、叫喚、大叫喚※[#感嘆符三つ、365−下−18]
 自分は後の低い山に登つて、種々《いろ/\》なる思想に撲《うた》れながら一人その悲惨なる光景を眺《なが》めて居た。
 実際自分はさま/″\の経験を為たけれど、この夜の光景ほど悲壮に、この夜の光景ほど荘厳に自分の心を動かしたことは一度も無かつた。火の風に伴《つ》れて家から家に移つて行く勢《いきほひ》、人のそれを防ぎ難《か》ねて折々発する絶望の叫喚《さけび》、自分はあの刹邪《せつな》こそ確かに自然の姿に接したと思つた。
 諸君! これでこの話は終結《をはり》である。けれど猶《なほ》一言、諸君に聞いて貰はなければならぬ事がある。それは、その翌日、殆ど全村を焼き尽したその灰燼《くわいじん》の中に半《なかば》焼けた少女《をとめ》の死屍を発見した事で、少女は顔を手に当てたまゝ打伏《うつぶし》に為つて焼け死んで居た。かれは人に捕へられて、憎悪《ぞうを》の余《あまり》、その火の中に投ぜられたのであらうか、それとも又、独《ひと》り微笑《ほゝゑ》んで身をその中に投じたのであらうか。それは恐らく誰も知るまい。
 自分は其翌日万感を抱いてこの修羅《しゆら》の巷《ちまた》を去つた。
 それからもう七年になる。
 其村の人々には自分は今も猶交際して居るが、つい、此間も其村の冒険者の一人が脱走して自分の家を尋ねて来たから、あの後は村は平和かと聞くと、「いや、もうあんな事は有りはしねえだ。あんな事が度々《たび/\》有つた日には、村は立つて行かねえだ。御方便な事には、あれからはいつも豊年で、今でア、村ア、あの時分より富貴《かねもち》に為つただ」と言つた。そして重右衛門とその少女との墓が今は寺に建てられて、村の者がをり/\香花《かうげ》を手向《たむ》けるといふ事を自分に話した。
 諸君、自然は竟《つひ》に自然に帰つた!
[#地から1字上げ](明治三十五年五月)



底本:「筑摩現代文学大系 6 国木田独歩 田山花袋集」筑摩書房
   1978(昭和53)年11月25日初版第1刷発行
   1980(昭和55)年2月20日初版第2刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力者:kompass
校正:伊藤時也
2004年8月16日作成
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