ア」
「それが、彼奴《きやつ》が実行するのなら、無論見付けない事は無いだすが、彼奴の手下に娘《あま》つ子《こ》が一人居やして、そいつが馬鹿に敏捷《すばしつこ》くつて、丸で電光《いなづま》か何ぞのやうで、とても村の者の手には乗らねえだ」
「それは奴の本当の娘なんですか」
「否《いや》、今年の春頃から、嚊《かゝあ》代《がは》りに連れて来たんだといふ話で、何でも、はア、芋沢《いもさは》あたりの者だつて言ふ事だす。此奴が仕末におへねえ娘《あま》つ子《こ》で、稚《ちひさ》い頃から、親も兄弟もなく、野原で育つた、丸で獣《けだもの》といくらも変らねえと云ふ話で、何でも重右衛門(嫌疑者の名)が飯綱原《いひつなはら》で始めて春情《いゝこと》を教へたとか言《いふ》んで、それからは、村へ来て、嚊の代りを勤めて居るが、これが実に手におへねえだ。重右衛門が自身手を下すのでなく、この獣のやうな娘《むすめ》つ子《こ》に吩附《いひつ》けて火を放《つ》けさせるのだから、重右衛門と言ふ事が解つて居ても、それを捕縛するといふ事は出来ず、さればと言つて、娘つ子は敏捷《すばしこく》つて、捕へる事は猶々《なほ/\》出来ず、殆ど困つて仕舞つたでがすア」
「年齢《とし》は何歳《いくつ》位?」
「まだ漸《や》つと十七位のもんだせう」
「それが捕へる事が出来ないとは! 高が娘《むすめ》つ子《こ》一人」
「知らない人はさう思ふのは無理は無いだす。高が娘《あま》つ子《こ》一人、それを捕へる事が出来ぬとは、余り馬鹿/\しくつて話にも何にも為《な》らない様だが、それを知つて御覧なされ、それは実に驚いたもので、今其処に居たかと思ふと、もう一里も前に行つて居るといふ有様、若い者などがよく村の中央《まんなか》で邂逅《でつくは》して、石などを投《はふ》りつけて遣《や》る事が幾度《いくたび》もある相だすが、中々一人や二人では敵《かな》はない。反対《あべこべ》に眉間《みけん》に石を叩《たゝ》き付けられて、傷を負つた者は幾人《いくたり》もある。それで此方《こつち》が五人六人、十人と数が多くなると、屋根でも、樹でも、する/\と攀上《よぢのぼ》つて、丸で猫ででもあるかのやうに、森と言はず、田と言はず、川と言はず、直ちに遁《に》げて身を隠して了ふ。それは実に驚くべき者ですア」
 此時、ふと、
「やあ!」
 と言つて庭から入つて来た者があつた。見
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