かつた。
「お! 時子!」
「あなたはBさん、まア――」その電話はかう言つたが、何でも電話のあるところが端近《はしぢか》で、言ひたいことも思ひ切つて言へないといふ風で、暫く絶句してゐたが、いくらか、小声になつて、「待つてゐたんですの。いつおつきになりましたの?」
忘れられないその声がなつかしく体中に染み込んで行くのをBは感じながら、「今日の昼頃ついたんだがね? 今まで客があつて、電話をかけるひまさへなかつたんだよ」
「さうですか。何うしたんだらう? もうゐらつしやりさうなもんだ。此間のお手紙では、是非もうお着きにならなけりやならない。何うかなすつたんぢやないかしら? ハルピンにはお出でにならないやうになつて了つたんぢやないかしらと思つてゐたんですの……。今も思つてゐたところなの、私うれしい……」その声は低く微かに、いかなる音楽もそれほど強く体に心に染みわたるものはないやうにBの耳に伝へられて来た。
しばしは両方で黙つた。しかしこの沈黙は千万言にも尚ほ勝るほどの感動を二人に与へた。二人の間には心と心とがぴたりと合つた。体と体とがぴたりと触れた。その中間に電話の線が横つてゐるなどは思へ
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