京へと行つたが、生憎《あひにく》その日は日本人はひとりも乗つてゐず、それに例の臨城《りんじやう》事件が昨夜《ゆうべ》あつたばかりなので、一層さびしいさびしい旅を続けなければならなかつた。Bは唯黙つて荒漠とした野《の》を見た。行つても行つても村落らしい村落はなく、暗い鼠色の空にすさまじく埃塵の漲《みなぎ》りわたつてゐる広い広い地平線を見た。停車場《ていしやぢやう》と言つても、ほんの小さな建物があるばかりで、町らしい形を成してゐる部落などは何処まで行つても眼に入つては来なかつた。をりをり唯遠くの楊柳の枝のたわわに風に吹かれてゐるのが見えるばかりであつた。
(こんなところに一国の首都たる北京があるのかしら? 不思議な気がするなア)かう何遍もBは腹の中で思つた。やがて薄暮に近く、次第にその北京はあらはれ出して来た。暗い城壁を取廻した大妖怪か何かのやうに――。
「おや! H夫妻は矢張此処に泊つてゐるな」
Bは室に入るとすぐかう独語した。
Bはその窓の下のところで、例のドイツ種の大きな犬が頻りに悲鳴を挙げてゐるのを聞いた。かれは何方《どちら》かと言へば狭い一室の卓《テイブル》の傍《かたはら》
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