たけれど、芳子が低頭勝《うつむきがち》に悄然《しょうぜん》として後について来るのを見ると、何となく可哀《かわい》そうになって、胸に苛々《いらいら》する思を畳みながら、黙して歩いた。
佐内坂を登り了《おわ》ると、人通りが少くなった。時雄はふと振返って、「それでどうしたの?」と突如として訊《たず》ねた。
「え?」
反問した芳子は顔を曇らせた。
「昨日の話さ、まだ居るのかね」
「今夜の六時の急行で帰ります」
「それじゃ送って行かなくってはいけないじゃないか」
「いいえ、もう好いんですの」
これで話は途絶えて、二人は黙って歩いた。
矢来町の時雄の宅、今まで物置にしておいた二階の三畳と六畳、これを綺麗《きれい》に掃除して、芳子の住居《すまい》とした。久しく物置――子供の遊び場にしておいたので、塵埃《ちり》が山のように積っていたが、箒《ほうき》をかけ雑巾《ぞうきん》をかけ、雨のしみの附いた破れた障子を貼《は》り更えると、こうも変るものかと思われるほど明るくなって、裏の酒井の墓塋《はか》の大樹の繁茂《しげり》が心地よき空翠《みどり》をその一室に漲《みなぎ》らした。隣家の葡萄棚《ぶどうだな》、
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