なか》には、大きい一脚の卓《テーブル》が据えてあって、傍に高い西洋風の本箱、この中には総《すべ》て種々の地理書が一杯入れられてある。渠はある書籍会社の嘱託を受けて地理書の編輯《へんしゅう》の手伝に従っているのである。文学者に地理書の編輯! 渠は自分が地理の趣味を有っているからと称して進んでこれに従事しているが、内心これに甘《あまん》じておらぬことは言うまでもない。後《おく》れ勝なる文学上の閲歴、断篇のみを作って未《いま》だに全力の試みをする機会に遭遇せぬ煩悶《はんもん》、青年雑誌から月毎に受ける罵評《ばひょう》の苦痛、渠《かれ》自らはその他日成すあるべきを意識してはいるものの、中心これを苦に病まぬ訳には行かなかった。社会は日増《ひまし》に進歩する。電車は東京市の交通を一変させた。女学生は勢力になって、もう自分が恋をした頃のような旧式の娘は見たくも見られなくなった。青年はまた青年で、恋を説くにも、文学を談ずるにも、政治を語るにも、その態度が総て一変して、自分等とは永久に相触れることが出来ないように感じられた。
で、毎日機械のように同じ道を通って、同じ大きい門を入って、輪転機関の屋《いえ
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