白縞《しろしま》の袴《はかま》を穿《は》いた書生さんが居るじゃありませんか。また、原稿でも持って来た書生さんかと思ったら、横山さんは此方《こちら》においでですかと言うじゃありませんか。はて、不思議だと思ったけれど、名を聞きますと、田中……。はア、それでその人だナと思ったんですよ。厭な人ねえ、あんな人を、あんな書生さんを恋人にしないたッて、いくらも好いのがあるでしょうに。芳子さんは余程物好きね。あれじゃとても望みはありませんよ」
「それでどうした?」
「芳子さんは嬉《うれ》しいんでしょうけど、何だか極《きま》りが悪そうでしたよ。私がお茶を持って行って上げると、芳子さんは机の前に坐っている。その前にその人が居て、今まで何か話していたのを急に止して黙ってしまった。私は変だからすぐ下りて来たですがね、……何だか変ね、……今の若い人はよくああいうことが出来てね、私のその頃には男に見られるのすら恥かしくって恥かしくって為方《しかた》がなかったものですのに……」
「時代が違うからナ」
「いくら時代が違っても、余り新派過ぎると思いましたよ。堕落書生と同じですからね。それゃうわべが似ているだけで、心はそんなことはないでしょうけれど、何だか変ですよ」
「そんなことはどうでも好い。それでどうした?」
「お鶴(下女)が行って上げると言うのに、好いと言って、御自分で出かけて、餅菓子《もちがし》と焼芋《やきいも》を買って来て、御馳走《ごちそう》してよ。……お鶴も笑っていましたよ。お湯をさしに上ると、二人でお旨《い》しそうにおさつを食べているところでしたッて……」
 時雄も笑わざるを得なかった。
 細君は猶《なお》語り続《つ》いだ。「そして随分長く高い声で話していましたよ。議論みたいなことも言って、芳子さんもなかなか負けない様子でした」
「そしていつ帰った?」
「もう少し以前《さっき》」
「芳子は居るか」
「いいえ、路《みち》が分からないから、一緒に其処《そこ》まで送って行って来るッて出懸《でか》けて行ったんですよ」
 時雄は顔を曇らせた。
 夕飯を食っていると、裏口から芳子が帰って来た。急いで走って来たと覚しく、せいせい息を切っている。
「何処《どこ》まで行らしった?」
 と細君が問うと、
「神楽坂《かぐらざか》まで」と答えたが、いつもする「おかえりなさいまし」を時雄に向って言って、そのままば
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