た。
 米の叺が山のように積んである。支那人の爺が振り向いた。丸顔の厭な顔だ。有無をいわせずその車に飛び乗った。そして叺と叺との間に身を横たえた。支那人はしかたがないというふうでウオーウオーと馬を進めた。ガタガタと車は行く。
 頭脳がぐらぐらして天地が廻転《かいてん》するようだ。胸が苦しい。頭が痛い。脚の腓《ふくらはぎ》のところが押しつけられるようで、不愉快で不愉快でしかたがない。ややともすると胸がむかつきそうになる。不安の念がすさまじい力で全身を襲った。と同時に、恐ろしい動揺がまた始まって、耳からも頭からも、種々の声が囁《ささや》いてくる。この前にもこうした不安はあったが、これほどではなかった。天にも地にも身の置きどころがないような気がする。
 野から村に入ったらしい。鬱蒼《こんもり》とした楊《やなぎ》の緑がかれの上に靡《なび》いた。楊樹《やなぎ》にさし入った夕日の光が細かな葉を一葉一葉明らかに見せている。不恰好《ぶかっこう》な低い屋根が地震でもあるかのように動揺しながら過ぎていく。ふと気がつくと、車は止まっていた。かれは首を挙《あ》げてみた。
 楊樹の蔭《かげ》を成しているところだ。車輛《くるま》が五台ほど続いているのを見た。
 突然肩を捉えるものがある。
 日本人だ、わが同胞だ、下士だ。
 「貴様はなんだ?」
 かれは苦しい身を起こした。
 「どうしてこの車に乗った?」
 理由を説明するのがつらかった。いや口をきくのも厭なのだ。
 「この車に乗っちゃいかん。そうでなくってさえ、荷が重すぎるんだ。お前は十八聯隊だナ。豊橋だナ」
 うなずいてみせる。
 「どうかしたのか」
 「病気で、昨日まで大石橋の病院にいたものですから」
 「病気がもう治《なお》ったのか」
 無意味にうなずいた。
 「病気でつらいだろうが、おりてくれ。急いで行かんけりゃならんのだから。遼陽《りょうよう》が始まったでナ」
 「遼陽!」
 この一語はかれの神経を十分に刺戟した。
 「もう始まったですか」
 「聞こえんかあの砲が……」
 さっきから、天末に一種のとどろきが始まったそうなとは思ったが、まだ遼陽ではないと思っていた。
 「鞍山站《あんざんたん》は落ちたですか」
 「一昨日《おととい》落ちた。敵は遼陽の手前で、一防禦《ひとふせぎ》やるらしい。今日の六時から始まったという噂《うわさ》だ!」

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