り渡っていたが、ふと、五、六間先に葱《ねぎ》の白い根を上げた畑が眼に入った。
 われを忘れて、畑の中に入って、ほとんど人の物を盗むなどという念も起こらぬ中に、たちまち一束の葱を取って、それを揃《そろ》えて、もとの畠の道に出た。その時、同じ畠道を、一人の男――かねて見知っている温泉宿の年寄りの番頭がこっちに歩いてきた。
 葱を一束抱えてお作の立っているのを、ふと眼につけて、
 「葱かね!」
 と言って笑って通り過ぎた。
 お作はぎょっとして我に返った。自己《おのれ》の罪跡を見つけられたと思って、身が地にすくむような気がした。はげしい飢餓をも忘れて、茫然《ぼうぜん》として立っていた。見ると、その年寄りの番頭は一歩一歩その細い爪先上がりの道を静かに静かに歩いていく。黒い縞《しま》のどてらが、青い畑と灰色の森との間をてくてくと動く。ふと林に入ろうとする畠から、鋤《すき》を荷《にな》った一人の百姓が出てきて、だんだんとこっちへおりてきたが、前の番頭に出逢《であ》うと、二人は立ち留まって何ごとをか語った。いや、番頭の白い顔がちらとこっちを振り返ったのが見えた。てっきりその身の罪を告げている! とお
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