山に張って出してある家の中にも入って行って見た。其処には矢張かれと同じように職業を求める青年がいて、あるかなしの財布の中から五円札を一枚出したりしていた。勇吉はいろいろなことを訊いて其処から帰って来た。
 ある学校友達は、此前東京に出た時分には、早稲田の学校に入って劇の方に志していたが、此頃では大分文壇に名高くなって、その人の書くものなどが時々芝居に演ぜられたりなどしていた。一度其処を訪問して見ようと思ったがまア印刷が出来上ってからと思って、途中まで行ったのを引かえして戻って来た。「千枚で五十三円、二十円位で出来ると思っていたのに……大分の違いだ。」こんなことを思って、かれは歩きながら貯金を腹の中で勘定したしりた。「二月、三月はまア好いが、そうかと言って、女房と子供をかかえて遊んでなんかいられない。」かれは蕎麦屋にも入らずに、飢えた腹を抱えて裏店の狭い自分の宅に帰って来た。
 印刷は何うもはかどらなかった。二十日でも、もう遅いと思っているのに、二十一日になっても、まだその暦は出来て来なかった。催促に行くと、「何うも廻すところが旨く行きませんでな。」などと言って主人はその半分出来かかった
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