の村に来るまでにも、かれは尠くとも四カ所の小学校を勤めて歩いた。ある山の中では、自分一人きりで、十五、六人の児童を相手にのんきに暮した。そこは粟餅、きび飯、馬鈴薯、蕎麦、豆などより他に食うことの出来ないような処であった。勇吉は今でも其処の生活を振返って考えずには居られなかった。
「何故、あそこから出て来たろう。何故あそこにいなかったろう。あそこ位好いところはなかった。あそこ位自分に適当したところはなかった。……矢張、淋しかったのかなア、世の中に出たかったのかなア。」こんなことを言っては、其処から出て来たことを悔んだ。
 妻に向っては、「彼処を出て来たのは、お前にも責任があるよ。お前も出たがっていたからな。」何うかすると、勇吉はこんなことを言ったが、しかし、妻に対して常に多く要求していない彼は、そう深く妻を相手にしようとは思わなかった。妻はまた妻自身の独立した領分を持っていて体と物質との両面か常に勇吉を圧迫していた。
「貴方、何をそんなに考えてばかしいるんですよ。」
 こんなことを言っては、勇吉が暗い窓の下で、蒼白い顔をして、神経を昂らせて、鉛筆で手帳に何か書きつけていたりするのを叱るよ
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