トコヨゴヨミ
田山花袋
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(例)掘[#底本は「堀」]立小屋
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一
雑嚢を肩からかけた勇吉は、日の暮れる時分漸く自分の村近く帰って来た。村と言っても、其処に一軒此処に一軒という風にぽつぽつ家があるばかりで、内地のようにかたまって聚落を成してはいなかった。それに、家屋も掘[#「掘」は底本では「堀」]立小屋見たいなものが多かった。それは其処等にある木を伐り倒して、ぞんざいに板に引いて、丸太を柱にして、無造作に組合せたようなものばかりであった。勇吉も矢張りそういう家屋に住んでいた。
「もう二年になる。」
勇吉はいつもそんな事を考えた。海岸に近い村に教鞭を執っていた時分は、それでもまだ生活に余裕があった。
「何うせ、田舎に埋れた志だ。無邪気な子供を相手に暮して行くのが自分には相応わしい。」こう思って自から慰めた。国から兄弟達が心配して送ってよこしたような妻は、かれがまだ海を越えて此地に渡って来ない前に一緒になったのであるが、かれはそれを伴れて彼方から此方へと漂泊して行った。海岸の村に来るまでにも、かれは尠くとも四カ所の小学校を勤めて歩いた。ある山の中では、自分一人きりで、十五、六人の児童を相手にのんきに暮した。そこは粟餅、きび飯、馬鈴薯、蕎麦、豆などより他に食うことの出来ないような処であった。勇吉は今でも其処の生活を振返って考えずには居られなかった。
「何故、あそこから出て来たろう。何故あそこにいなかったろう。あそこ位好いところはなかった。あそこ位自分に適当したところはなかった。……矢張、淋しかったのかなア、世の中に出たかったのかなア。」こんなことを言っては、其処から出て来たことを悔んだ。
妻に向っては、「彼処を出て来たのは、お前にも責任があるよ。お前も出たがっていたからな。」何うかすると、勇吉はこんなことを言ったが、しかし、妻に対して常に多く要求していない彼は、そう深く妻を相手にしようとは思わなかった。妻はまた妻自身の独立した領分を持っていて体と物質との両面か常に勇吉を圧迫していた。
「貴方、何をそんなに考えてばかしいるんですよ。」
こんなことを言っては、勇吉が暗い窓の下で、蒼白い顔をして、神経を昂らせて、鉛筆で手帳に何か書きつけていたりするのを叱るように言った。
勇吉は三日間、雑嚢を肩からかけて村から村へと歩いて行った。自分の村から、二、三十里近くのところまでも出かけて行った。雑嚢の中には、薬が沢山に入っていた。風邪の薬、胃腸の薬、子供の気つけにする薬、ヨードホルム、即効紙などがごたごたと一杯になって入っていた。勇吉はそれを自分の村から五里ほどある停車場の町に行って、懇意な医師に処方をつくって貰って、小さな製薬会社から成べく安く下して貰って来た。
「薬、入りませんか。」
こう言って、かれは荒蕪地の処々にある家に入って行った。一軒から一軒へ行くのに、萱や篠の一杯に繁った丘を越えて行かなければならないようなこともあれば、沢地のようなぐじゃぐじゃした水のある処をぐるりと廻って行かなければならないようなこともあった。「薬屋さんかネ……今日は好いがな。」伊勢あたりから移住して来た百姓はこんな口の利き方をした。「まア、休んで行かっし、……薬はいらないが、遠いところを来て疲れたろうナモシ。」などと言って、煖炉の傍に請じて呉れる婆さんなどもあった。村から村へ三里もさびしい山路を通って行かなければならないような処を通る時には、勇吉の勇気も幾度か挫けた。「独立独行――何でも自分で生きて行くに限る。小学校でつかって呉れなければ、自分で働いて食うばかりだ。Socialist ! 結構な名をつけられたものだ。自分は Socialist だろうか。それは思想にはいくらかそういう傾向を持って居るかも知れない。国の新聞に出したあの歌などにはそういう事を主として歌った、それは事実だ。しかし、事実を歌ったばかりで、Socialist と断定する役人達の無学がわかる。
「自分は芸術家だ。Socialist ではないっていくら弁解してもわからなかった。」こんなことを思った勇吉の頭にはあの多くの人達が死刑に処せられた時の光景が歴々と浮んで来た。かれはそれを思い出す毎に、いつも体がわくわくと戦えた。それは日本などには到底起ることがないと信じていた光景であった。外国――殊にロシヤあたりでなければ見ることが出来ないと思っていた凄惨な光景であった。その時新聞を持っていたかれの手はぶるぶる戦えた。其処には、かれの知っている友達の名前が書いてあった。その友達はかれが東京に出ている頃懇意にした男で、よく往来しては、烈しい思想を互に交換したりした。しかし、勇吉は其
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