がっかりした。
刑事も其後度々やって来たという妻の話であった。何うかすると、夜などこっそり様子を見に来るものもあるらしく勇吉には思われた。職業の方もさがす気が出なくなって了った。Socialist という嫌疑がかかっているということが知れては何処でもつかって呉れる処はありそうに思われなかった。望みをかけて来た小学校教員の方は殊にそうであった。教員になろうとするには、黙って隠して置いたところで、本籍から屹度通牒[#「牒」は底本では「爿+牒のつくり」]して来るに違いなかった。二度目に暦を持って博士をたずねた時に、思い切ってその話をすると、「困るねえ、それは――。何うかしてその嫌疑を解いて貰わなければ、本当に何にも出来やしないよ。困ったことになっているんだねえ。」こう博士は言って、矢張勇吉の体中をさがすように見た。俄かに博士の態度が変って行ったように――そういう嫌疑を持っている人間に邸に出入されては困るというように思っているらしく勇吉には邪推された。
勇吉はいても立ってもいられないような気がした。
「貯金はすぐなくなって了うし……。」
勇吉は絶えずこう思って、例の鉛筆で計算をやって見たりした。
正月が来た。注連飾などが見事に出来て賑やかな笑声が其処此処からきこえて来た。
しかし勇吉はじっとしてはいられなかった。正月の初めにもっと家賃の安い家を別な方面にさがして、遁げるようにして移転して行った。刑事の監視をのがれたいという腹もあった。出来るならば、この都会の群集と雑沓との中に巧みにまぎれ込んで了いたいと思った。しかしそれは矢張徒労であった。一週間と経たない中に刑事は其処にもやって来ていた。勇吉はわくわく震えた。
[#地から2字上げ](一九一四年三月「早稲田文学」)
底本:「日本プロレタリア文学大系 序」三一書房
1955(昭和30)年3月31日初版発行
1961(昭和36)年6月20日第2刷
入力:Nana ohbe
校正:松永正敏
2003年9月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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