が出るんですな、これは面白い。」刑事はこう言ってまた今年の処を廻して見た。
「一つ差上げましょう。」
「そうですか。」といって、「イヤ何アに、買いますよ。」
勇吉が呉々も頼むと、「私は疑っても何もいやしないですけれどもな、職務ですからな、しかし長い中には、段々様子を見て、帳面を消すことになっているんですから……私の方だって用の少い方が好いんだから。」後には刑事も打解けてこんなことを言った。
七
暦を五、六枚持って、市中の雑誌店や何かを勇吉が廻って歩いたのはもう年の暮も押詰った二十五六日であった。市中は賑かに派手な粧飾などをして、夜は電気が昼のように街頭を照した。車や自動車が威勢よく通って行ったりした。
何処の雑誌店でも、相手にしないような家が多かった。仕かけを説明してきかせても、容易に飲み込めないような人ばかりであった。「まア、なんなら二三枚置いて行って御覧なさい。」こう言って呉れる家は中でも深切な好い方であった。ある店では、「暦はもう遅いですよ。もう大抵何処の宅だって買って了いましたからな……もうちっと早ければ売りようもあったでしょうけれども、こう押詰っちゃ駄目ですよ。」などと言った。勇吉はためしに置いて貰う位で満足しなければならなかった。
それでも百枚ほどは足を棒のようにして、彼方此方の店に行って頼んで置いて貰った。本郷から小石川、牛込、下谷、浅草の方まで行った。毎日勇吉はヘトヘトに労れて家に帰って来た。
二三日経ってから、置いて来た店を勇吉は廻りに出かけて行った。勇吉は非常に失望して帰って来た。殆ど一軒も売れないと言っても好い位であった。何処でも店の隅の方に形式だけに置いてあった。「其処にあるから、見て行って下さい。」などと言った。「売れませんな矢張、ゆっくり広告でもしなけりゃ、いくら好いものだって売れやしませんよ。」ある店ではこんなことを言われた。勇吉は都会の塵埃にまみれて暗い顔をして帰って来た。
荒蕪地で、薬売をやっていた時の方が何んなに好いか知れなかったなどと勇吉は思った。そこには広々した天然があった。其処に住んでいる人も、都会に住んでいるような忙しい冷淡な人間ではなかった。
歩いている路にも、餓を刺戟する蕎麦屋、天ぷら屋などもなければ、性慾を刺戟する綺麗なぴらしゃらする女もなかった。勇吉は計画が全く徒労になったような気がして
前へ
次へ
全19ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 花袋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング