かつた。櫃《ひつ》にも米が満ちてゐたけれども、かれは一鉢の飯しか食はなかつた。
寒い朝は続いた。霜《しも》は本堂の破れた瓦を白くした。時には雪が七寸も八寸も積る時もあつた。食がなくなつて軒に集つて来る雀にかれは米を撒《ま》いてやつた。喜捨の米を、浄《きよ》い心のあらはれである浄《きよ》い米を……。人に食を乞ふ身は、生物《いきもの》に食を与へる身であることをかれは考へた。
感極《かんきはま》つたやうにしてかれは黙つて合掌した。
雀は、ちゝと鳴きながら、軒から其処に下りて来て、かれの顔を見るやうにして、又は食を与へて呉れるかれの恩を感ずるやうにして、首をかしげながら、小さな嘴《くちばし》で、雪の中に半ば埋れたやうになつてゐる米粒をついばんだ。中には、縁側まで入つて来るものなどもあつた。
今までに味ふことの出来なかつたやうな歓喜がかれの胸に漲《みなぎ》り渡つた。
十五
垣に梅が咲き、田の畔《くろ》に緑の草が萌《も》える頃には、托鉢《たくはつ》に出るかれの背後《うしろ》にいつも大勢の信者が集つてついて来た。
驚くべき光景が常にかれの周囲にあつた。鍛冶屋の亭主、青縞屋《
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