あとの不動不壊《ふどうふゑ》の相の名残《なごり》なくあらはれてゐるのを発見した。今まで広い空間に孤独を歎き、一人を歎き、自然の無関心を慨《なげ》いた自己は、杳《はる》かに遠い過去に没し去つた。今はその如来の像はかれに向つて話し懸けた。又かれに向つて微妙《みめう》不可思議の心理を示した。
仏の前に端坐読経してゐる時ばかりではなかつた。日常の坐臥進退にも、その本尊は常にかれと倶《とも》にあつた。かれと倶に笑つた。かれと供に語つた。古い長火鉢の前に坐つた時にも、七輪の下を煽《あふ》いでゐる時にも、暗い夜の闇の中に坐つてゐる時にも、をり/\飆風《はやて》のやうに襲つて来る過去の幻影の混乱した中にも……。
かれの姿はをり/\寺の境内《けいだい》の中に見えた。幾日も頬に剃刀《かみそり》を当てたことがないので、鬚《ひげ》は深く顔を蔽《おほ》つた。誰が見ても、かれが此処にやつて来た時の姿を発見することが出来なかつた。かれは夥《おびたゞ》しく変つた。
かれの立つてゐる垣の傍《かたはら》には、紅白の木槿《むくげ》の花が秋の静かな澄んだ空気を彩《いろど》つて咲いてゐた。
十
「何うかした
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