には裏の林の木《こ》の葉《は》が雨に濡《ぬ》れて散り込んで来てゐる。銀箭《ぎんせん》のやうな雨脚が烈しく庭に落ちて来てゐるのが、それと蝋燭《らふそく》の光に見える。裏の林は鳴つて、枝と枝との触れる音、葉と葉とのすれる音が一つにかたまつて轟《ぐわう》と言ふ音を立てた。空は墨を流したやうに暗かつた。
 ともすると風に吹き消されさうになる裸蝋燭を袖で護《まも》りながら、一歩々々長い廊下を歩いて行くかれの蒼白《あをじろ》い鬚《ひげ》の深い顔が見えた。それは丁度《ちやうど》罪悪の暗い闇夜《あんや》に辛うじて仏の慈悲の光を保つてゐるやうに、又は恐ろしい心の所有者が闇の中に怖《おそ》れ戦《をのゝ》いてゐるかのやうに……。
 廊下の途中で、かれはまた凄《すさま》じい風雨の吹き込んで来るのに逢《あ》つて、立留つて、その蝋燭の火を保護した。
 轟《ぐわう》といふ音、ザアと降る音、それがあとからあとへと続いてやつて来た。樹の鳴る音、枝の撓《たわ》む音、葉の触れ合ふ音、あらゆる世の中の雑音《ざふおん》、悲しいとか佗《わび》しいとか辛《つら》いとか恨《うら》めしいとかいふ音が一斉に其処に集つてやつて来たやうにか
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