感じた。
もう死んでゐるのかも知れない。弱い身体《からだ》の女だつたから、おとなしい女だつたから、不仕合せな女だつたから……。と、その肉体が亡《ほろ》びて、その思ひだけがその空気の中に生きて動いてゐるのかも知れなかつた。そんなことはない筈だ。かう打消しても打消しても、矢張それがついて廻つた。
ふと気がつくと、自分は蚊帳《かや》の中に寝てゐるのだつた。それは囲炉裏《ゐろり》のある隣の一間であつた。世話をする婆さんの寝てゐるいびき[#「いびき」に傍点]の音は向うの間《ま》からきこえて来てゐる。蚊のぶん/\唸《うな》る声が聞える。かれは容易に眠られなかつた。
「遠い昔だなア――」
かう思ひあつめたやうにしてかれは考へた。
此間も一度さういふことを考へたが、その夜もかれはかれ自身と放蕩《はうたう》無残な行為をした兄弟子との二つの生活をつづいて考へずには居られなかつた。兄弟子は慈雲と言つた。かれより四つ五つ上であつた。学問も出来て老僧の気に入つてゐた。老僧の了簡《れうけん》では、それを柔《やさ》しい涙を含んだ眼の持主の配偶者にしようと思つたらしかつた。現に、かれが寺から東京へ、僧から俗へ
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