あるシインが浮び出して来た。かれはもう十五六であつた。
 かれは庫裡の玄関のぢき傍の三畳――さつきそこをかれは明けて見た。一杯|蜘蛛《くも》の網《す》、山のやうに積つた塵埃《ごみ》、ぷんと鼻を撲《う》つて来る「時」の臭ひ、なつかしく思つて明けては見たが、かれはすぐその扉を閉めて了つた。その三畳の格子《かうし》の前のところで、軽い艶《なまめ》かしい駒下駄の音が来て留つた。かれは幼心《をさなごころ》にもそれが誰だかちやんと知つてゐた。そこから真直に向うに行くと、鐘楼《しようろう》――それは今でもある、その鐘楼の隣の不動堂、蝋燭《らふそく》の灯、読経《どきやう》の声、消えたことのない不断の火、その賑かな光景の向うには、更に一層賑かな明るい灯、料理店、湯屋、三味線の湧《わ》くやうにきこえる音《ね》、月の光の下に巧い祭文語《さいもんがたり》が来て、その周囲《まはり》に多勢の男女を黒く集めてゐる――そこからその軽い艶《なまめ》かしい足音がやつて来たのであつた。
 かれは黙つて経を前にして坐つてゐる……。と、ことことと音がする。唾《つば》で窓の紙をぬらす気勢《けはひ》がする。黒い瞳《ひとみ》をした二
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