覚醒が来た。
 恐怖を感じ、寂寞《せきばく》を感じ、孤独を感じ、倦怠《けんたい》を感じた時にのみ仏の前に行つて手を合せたかれは、今では自ら進んでその本堂の本尊の前に行くやうになつた。最早かれの読経《どきやう》はかれのための読経ではなかつた。また仏に向つて合掌するかれの手は、かれのための合掌|礼拝《らいはい》ではなかつた。新しい力はかれの魂を蘇《よみがへ》らせた。かれはかれの後半生を仏の功徳《くどく》を讃するために用ゐることを悔いなかつた。
 不思議の心理ではないか。また不思議な顛倒《てんたう》ではないか。かれは今まで消極的であつた自己を最早何処にも見出すことが出来なかつた。かれを苦しめたあらゆる幻影、恐ろしい溺死の光景、恨《うらみ》を含んだ心の形のあらはれた光景、絞首《かうしゆ》の刑に逢つた「恐ろしい群」の人達の光景、さういふ無限のシインは最早かれを脅《おびや》かすことはなかつた。新しい力は満ちた。
 貧、苦、乏、病に満ちた世界である。それは皆な我《われ》に着いたために起つて来たあらゆる光景である。ある国はある国と争つて、無辜《むこ》の血を流してゐる。ある人間はある人間と争つて、互に虚偽の勝敗を争つてゐる。デカダンはデカダンと相食《あひは》んでゐる。悪と悪とは互にその牙《きば》を磨いてゐる。それは皆な我に着《ちやく》した処から起つて来る。現に自分すらその染着《せんちやく》を捨てることが出来なかつた。捨てることの出来ないがために、かれは「幻影」に脅《おびや》かされた。この「幻影」――あらゆる世間の人達を絶えず苦しめるこの「幻影」のために、仏の前に手を合せなければならないと思つた。
 ある日は殆《ほとん》ど一日本尊の前に行つて読経《どきやう》した。世話人がやつて来て、用事を話さうとしても、かれは竟《つひ》に其処から立上らうともしなかつた。世話人は仕方がないので、一度帰つてそして又やつて来た。矢張かれは読経を続けてゐた。
 寂然《じやくねん》として端坐してゐる如来像《によらいざう》、それはもう昔の単なる如来像ではなかつた。ある時ある人の手で鋳《い》られたブロンズの仏像では猶更《なほさら》なかつた。かれは其の端麗な顔に、人間の慈愛を発見し、その威厳を保つた表情に人性の根本に横《よこたは》つた金剛の相を発見した。そしてまたその寂滅《じやくめつ》の姿には、着したものを拭ひ去つた
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