て、ひどいことを書くもんですね」 こういう言葉も私の耳にはいった。
実際、中田の遊廓の一条は、仮構であった。しかし、青年の一生としては、そうしたシーンが、形は違っても、どこかにあったに相違ないと私は信じた。一年間、『日記』がとだえているのなども、私にそういう仮構をさせる余地を与えた。それに、その一条は、多少、作者と主人公と深く交り合っているような形である。
刀根《とね》の下流の描写は、――大越から中田までの間の描写は想像でやったので、後に行ってみて、ひどく違っているのを発見して、惜しいことをしたと思った。やはり、写生でなければだめだと思った。これに引きかえて、発戸《ほっと》河岸の松原あたりは、実際行ってみて知っているので、その地方を旅行した人たちからよくほめられた。
刀根川の土手の上の草花の名をならべた一章、これを見ると、いかにも作者は植物通らしいが、これは『日記』に書いてあるままを引いたのである。
しかし、とにかく、一青年の志を描き出したことは、私にとって愉快であった。『生』で描いた母親の肖像よりも、つきすぎていないゆえか、いっそう愉快であった。私は人間の魂を取り扱ったような
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