は、約その三分の二を書き上げることができた。で、原稿を関君に渡して、ほっと呼吸をついた。
 それから後は、なかば校正の筆を動かしつつ書いた。関君と柴田流星君が毎日のように催促に来る。社のほうだってそう毎日休むわけには行かない。夜は遅くまで灯の影が庭の樹立《こだち》の間にかがやいた。
 反響はかなりにあった。新時代の作物としてはもの足らないという評、自分でも予期していた評がかなり多かった。それに、青年の心理の描写がピタリと行っていない。こうも言われた。やはり自分で、すっかりのみ込んでしまわなかった部分が、どこか影が薄いのであった。
 巻頭に入れた地図は、足利《あしかが》で生まれ、熊谷、行田、弥勒、羽生、この狭い間にしかがいしてその足跡が至らなかった青年の一生ということを思わせたいと思ってはさんだのであった。
 関東平野の人たちの中には、この『田舎教師』を手にしているのをそこここで見かけた。乗合馬車の中で女教員らしい女の読んでいるのを見たこともあれば、こんな旅館にと思われるような帳場に放り出されてあるのを見たことがあった。「中田の遊廓《ゆうかく》に行ったなんて、うそだそうですよ。小説家なん
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