れて行く多くの青年たちと、事業を成しえずに亡びていくさびしい多くの心とを発見した。私は『田舎教師』の中心をつかみ得たような気がした。
日記は、その死の前一日までつけてある。もちろん、寝ながら、かつ苦みながら書いたろうとおぼしく、墨もうすく、字も大きなまずく書いてあるけれども……。私はそれを見て泣きたいような気がした。遼陽の攻略の結果を、死の床に横たわって考えている小さなあわれな日本国民の心は、やがてこの世界的光栄をもたらしえた日本国民すべての心ではないか。
それに、舞台が私の故郷に近いので、いっそうその若い心が私の心に滲《し》みとおって感じられるように思われた。日記を見てから、小林秀三君はもう単なる小林秀三君ではなかった。私の小林秀三君であった。どこに行ってもその小林君が生きて私の身辺についてまわってきているのを感じた。
かれの眼に映ったシーン、風景、感じ、すべてそれは私のものであった。私はそこの垣の畔《ほとり》、寺の庭、霜解けの道、乗合馬車の中、いたるところに小林君の生きて動いているのを見た。
H町の寺に行くと、いつもきまって私はその墓の前に立った。
そこにはすでに友人たち
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