。人の知らないうちに出立しようとおもて[#「て」に「ママ」の注記]、眼《め》をさますと、帽子は枕元《まくらもと》にちゃんとおいてあります。
留吉は、また不幸な帽子を持って、宿を立ちました。留吉は、とある大川の堤《どて》の上を歩いていました。
「ここだ帽子を捨てるのは。川へ流してしまえば、もう返って来ないだろう」
留吉は、橋の上から力一ぱい帽子を川の中へ投げやりました。帽子は、小さな波に乗って、ぶっくりぶっくり、川下の方へ流れてゆきました。
「あばよ、おととい来いだ!」
留吉は、泣きたいような好《よ》い気持ちで、だんだん遠くなってゆく帽子に別れをつげました。すると一|艘《そう》のモーターボートが、ポクン、ポクン、ポクンと言いながら、帽子の方へ走出《はしりだ》しました。ボートの中には、白い服をきた男が二人と巡査が一人乗っていました。まもなく帽子に追いついて、一人が帽子を救いあげると、急いでボートを岸へつなぎました。留吉があっけらかんとして見物しているうちに、帽子はいつの間にかまた留吉の頭の上へのっかっていました。
留吉は、なぜか嬉《うれ》しくなって、不幸な帽子を頭へのっけたままで泣出しました。しかし、どう考えても、今田時雄《いまだときお》の玄関の一寸角のガラスの穴からのぞいた眼が、公園のベンチのうしろの木の蔭《かげ》からも、公衆食堂の椅子《いす》の下からも、宿屋の裏の空地にも、大川の橋の下にも、いつもぎらぎらと光って、留吉のすることを見ているように思えるのでした。これは留吉には、たまらないことでした。
留吉が、不幸な帽子をかぶって、都の停車場からまた田舎《いなか》の方へ帰ったのは、それからまもないことでした。
[#地付き](一九二三、七、二四)
底本:「童話集 春」小学館文庫、小学館
2004(平成16)年8月1日初版第1刷発行
底本の親本:「童話 春」研究社
1926(大正15)年
入力:田中敬三
校正:noriko saito
2005年9月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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